川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

孤独

 人はどういうときに孤独を感じるのだろうか。いろいろな瞬間がある。無人島に1人ぽっちのとき。クラスで一人だけぽつんと席に座っているとき。場面的には、個として存在しているイメージが漠然と思い浮かばれるが、個人的には物理的に人とのかかわりがあったとしても、自分の感情を理解してくれる人がいないときなのだろうと最近実感した。

 

 海外で働くということは、言語を習得するのと同時に、慣習・法規・組織・専門をも同時に習得しなくてはならない。異なる文化の中で、自分自身のスタンスを見つけて、今まで行ってきた仕事の経験を自分なりに再構築し、試行し、調整していかなくてはならない。自分の中の気力を維持するのも必要になってくる。とても骨のかかる仕事である。与えられた役割が小さいといえども、役割を全うするまでの過程はすべて初めてなことなので、想像以上の体力と気力を要する。

 

 必要以上に感情を表に出すタイプではないので、勝手にあいつならできるだろうと高をくくられることがよくある。貫禄があるとか、落ち着いてみえるとか、勝手なことを言われる。別に言われる分には構わない。年を経てある程度の風貌は顔に現れるとも思っているので、今まで生きた経験や成果に対して、それなりの評価だとも思う。ただ器用に生きてきたわけではない。今できることのすべては単に、できるようになるまでやった結果に過ぎない。それは、どんなに自分を犠牲にしようともどれだけの時間をかけようとも、ただできるようになるまで頑張ったその成果であって、才能や頭の良さや器用さといったそういったもので、するすると得られるものではなかった。

 

 できるといわれている人には、大きく分けて2つのタイプがいると思う。自分ができたのだから、部下にもそれを求める人と、部下の地力を考慮したうえで、適材的な指示を与えていく人。努力し、それを達成し、乗り越えることは尊い。だが皆がそれをできるのであれば、この世に問題など存在しない。自分は感情を出さないことも相まって、よく期待される分だけ、その人の期待を裏切ることがよくある。お前はもう少し頭がいいと思ってたんだけど。勝手に期待をされているだけに、あまりそんなに響くわけではないが、ただただ困惑する。自分ができない理由などわかっている。今いる自分の立場と、行動に移すために問いかけを行う相手の立場が分からないからだ。どういう対応をするのが一般的なのか、常にそれを測っている。まあそれは当然の話であろう。わけのわからない立場の人から、わけのわからない質問を受けても、人は答える気にはならない。その無数の関係性をじっくりと観察し距離感を測っているから、最初のうちは仕事ができない。自分は案外細やかな気を回すタイプである。その関係性さえわかれば、あとは大した問題ではない。必要な質問を必要な時期に必要な人に投げかければいい。無数の関係性はあるが、1通りの流れを覚えればあとは類似的な話である。期待されている人の期待を裏切って時間がたった後に、期待以上の成果を出せるようになるのが常である。

 

 みな何かができないうちは右往左往するだろう。どうすればいいかわからない。聞くことがわからない。わかったとしても聞き方がわからない。聞く相手がわからない。何がわからないかがわからない。自分の気持ちを人にわかってほしいと思うけど、それを伝えることができず、伝える場を作ることができず、自分のもやもやを自分だけに抱えていっぱいになるときに孤独を感じる。案外、無人島で1人で生きているほうが、孤独は少ないのかもしれない。それすらも実際にそうなってみないとわからないが。

 

 人の気持ちなど本当のところはわからない。幸福の形はいつも同じだが、不幸の形はそれぞれ違う。孤独な人に必要な声掛けは、技術的で客観的な厳格な一言ではない。プロなのであるから、そうであるのは当然なのであるけれど、傷つき不安な孤独な気持ちを癒しうる言葉にはならない。ただ必要なのは、同じ方向を向いて寄り添い支えようとする優しい言葉だ。たとえそこに人がいなくとも、いてくれるような気がするだけで力が出ることなどはいくらでもある。

 

 今が忙しいのはよくわかる。その人にしか持ちえない悩みもあるのはわかる。ただ、自分も同じつらい道を生きてきたのであれば、孤独であろうとしている人に対して、なぜそれを支える言葉を投げかけることができないのか。大人になるというのは、昔を忘れるということなのか。成果を求められすぎて、相手に成果を求めすぎる人になってはいないか。同じ方向を向くことでしか、チームとしての絆は生まれない。使い捨ての関係であればそれでかまわないが、狭い世界の中で一緒に関係性を保ってはいかなくてはならないと思う。

 

 どうあってもつらい状況の中で、ついつい愚痴っぽくなってしまった。悲劇のヒロインを語るのも致し方ないことなのだろう。たとえ周りからはどう見えて楽な仕事だと思われようとも、その人の気持ちなどその人にしかわからない。ただ大切なのはわかろうとする意志だと思っている。わかろうとする意志さえ持ち得ればいつかはたどり着くとジョジョに出てくるアバッキオの同僚は言っていた。別に仕事ができなくても死ぬわけではないけれど、あまりにもできずにいるとその人の立場はなくなり、何も求められず、尊厳が失われていく。少しでも自分の気持ちを整理し奮い立たせるために、言葉にして書いては見たが、そんなに気持ちが晴れるわけではない。無理をしすぎるといいことはないとは経験則からよく知っている。

 

そこそこに苦難を求める性格ではあるが、あまりにも苦難を背負いこみすぎたので、少し気持ちが疲れてきた。擦り切れる前に誰かと酒でも飲んで愚痴を言いながら、あまり気負い過ぎずほどほどにやっていきたいと思う。