川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

煙草

結婚を考えている女性の条件に挙げられているのが、煙草を吸わないということをよく耳にする。煙草など百害あって一利なし。吸っているだけで健康を損なうなど言語道断。お金もかかるし、吸うことの意味が分からない。本人の体調を考えるとやめてほしいと思います。いろいろな意見を耳にする。普通に生きていればそうなのだろう。吸っているだけで周りの人への影響もあると考えると、反論の余地はない。

 

自分にとって煙草は遅咲きのデビューであった。周りに煙草を吸う人は多かったから、特段抵抗はないのだが、曲がりなりにも運動をたしなむ自分としては、一生吸うことはないだろうと遠い存在であった。喫煙所で仕事は進むんだよ。そうよく言われていたが、吸わなくても喫煙所に入り浸っていたので、何の不自由もなかった。そんな中、どうしようもなく自分の限界を超える仕事が与えられた。初めての若者が、熟練の人たちに対して時には20人にも及ぶ会議を自ら開き司会をし、状況を説明し、議事録を作り、疑問点をつぶしていく。そんな仕事を週に3~4回行う。考えるに限界であったのであろう。逃げたくても逃げられない性分と、仕事の責務と重圧に押しつぶされていた。

 

煙草は唯一の生き延びる方法だった。毎日が怖くて逃げ出したかった。そんなときに喫煙所で吸うことを選んだ。それしかできなかった。健康な体は大切だと思う。でも、もっと大切なのは生き延びることだろう。そんな仕事ならやめてしまえという方法もあっただろうが、上司を殴って辞めるのは最後の手段としてとっておいたため、最後から5番目くらいの手段として煙草を選択した。最後から4番目は自分の足の骨を折ることであった。会議10分前の心が凍り付く瞬間によく吸った。少しでも気持ちが落ち着くのは、自分にとって救いであった。

 

煙草とはしゃべる時間が物理的に制限される、珍しい行為である。呼吸の間にしゃべることはできるのだが、その行為そのものの性質上しゃべらなくても許される独特の雰囲気がある。煙は隠遁を想起させ、気持ちをも隠すことができる。吸いながら遠い目をしていても、特に違和感を持たれないため、色々な思案が頭に巻きあがる。情景とは臭いから想起されるものだと、アガサクリスティーの「そして誰もいなくなった」で描かれていた。煙草を吸っていていつも思い起こすのは、逃げたい自分の気持ちであった。今思えば甘ったれていたのだとよく思う。何事もそつなくこなし、自分の限界を自分で決めて、その枠の中で上司にかみついていた。井の中の蛙大海を知らず。何も知らない若者が自分の中だけの主張を声高に叫んでいた。そんな自分への戒めとして煙草を吸う。自分の苦しい気持ちを隠してでも、体を傷つけてでも、やらなければいけないことがあるのであれば、やるしかない。それは1から新しく生きようと決めた、覚悟の証でもあった。

 

繰り返して言うが、健康よりも人からの見え方よりも一番大切なのは生き延びることである。このご時世に推奨することではないのだが、行儀よくお利口さんでいて、自分の気持ちとの乖離に悩んで、どうしようもなく心が引き裂かれるくらいなら、煙草を吸ってみるという方法もあると提起しているだけである。少なくともそれで救われている人はいる。僕がそうだった。世間から煙草が悪者とみられているが、悪者には悪者の流儀と意義がある。

 

自分の健康のために吸わないでほしい。そういう女性は、幸せな人生を送ってきたのだろう。心が引き裂かれることもなく、健康的な人たちに囲まれて、そしてこれからもそういう人たちと関わって、幸せに生きていくのだろう。

 

何が幸せかもわからない自分には結婚などは荷が重い。喫煙所でだらだらとしゃべる汚いおっさんたちを見てほっとしながら、惰性で続けている煙草を吸いながらしみじみと思った。