川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

願い

時を超えて語り継がれる言葉や物語には、語りつがれるだけの力がある。何が直接的に人の心を動かすのかは分からないが、語り継がれた分だけそこには、時を経ても普遍的に共感しうる何かがあるのだろう。媒体は口伝であったり本であったり、時には建物であったりもするのだが、何十年何百年何千年と語りつがれている。それだけでも凄い事である。

 

学生として建築を学んでいた時に一番悩んだのが、「なぜこの建物を皆がいいというのか」ということだった。いい建物を建てるためには、当然の条件としていい建物を知らなければならない。有名な建築家がいて、それを皆が褒め称える。これは有機的な建物である。部分が全体を統合している。身体的なスケールが、建物全体に活かされている。平凡な家庭で育ち、切り売りされた新興住宅街に住んで過ごしてきた自分には、到底理解し得ない世界だった。本当にこの先人たちの言っていることをまわりの人は理解しているのか。意識高い人達が発っしていた言葉はどうしても、特権階級の人達が同じ言語で喋ることで、自分達の優位を確かめ合うだけの、馴れ合いにとしか思なかった。

 

何も知らない若者だった自分は、才能なんてないと早合点をして、自分自身を見限ろうとしていたときのことである。なんとも微笑ましい考えを思いついた。「パリのセーヌ川のほとりで、コーヒーを飲みながら考えれば何かわかるかもしれない!」今の自分では理解し得ないのであれば、雰囲気だけでも染まってみるしかない。さっそく思い立ち、パリに出発した。

 

パリは言わずと知れた芸術の都で、過去幾人もの日本人達が訪れている場所である。有名な建物が濫立しており、見るものには事欠かない。ルーブル美術館オルセー美術館、ヴィクトリア宮殿、パリ国立博物館。いろいろな建物をみて、帰りにセーヌ川のほとりで小さいカップに入った1ユーロのエスプレッソをのむ。エスプレッソは濃くて美味しいし、建物は確かにすごいとは思う。華やかで、装飾的で、そこに注ぎ込まれた労力には頭が下がる思いである。ただ、それでもなおいまいち自分の心で理解ができない。もとが貧乏性であるため、日本の和室などの質素な空間を好む自分には、華美な空間は、確かにすごいとは思うのだが、それをはっきりとした形で理解することはできなった。

 

市内の探索も一通り終えて、次は町の外に繰り出すことにした。世界3大建築家。その1人である「ル・コルビジェ」のサヴォワ邸をみるためである。世界3大建築家というだけあって、それぞれにそれぞれの名言がある。フランクロイドライト「全体が部分に対してある如く、部分が全体に対してある」。ミースファンデルローエ「より少ないことは、より豊かなことだ」。ル・コルビジェ「住宅は住むための機械である」。皆が皆他の人の例に漏れず、それっぽい言葉を言っている。他の2人の言いたい事は、建物の写真を見れば何となくわかる。ライトの規律とも取れる六角形の意匠を随所に取り込み、純粋に建物としての良さがぱっとみて理解できる。ミースにしても、シンプルさを追い求めたが故の建物の構成は、あまり好きではないが一目でみて分かる。でもコルビジェの一見ちぐはぐに見える建物の良さだけは、言葉と写真だけでは、よくわからなかった。分からないから、知りたいと思ったのだとおもう。分かる人にならなければいけないと思ったからこそ、自分の目で見ることにした。

 

全く知らない土地を電車でまわり、どうにかこうにかしてたどり着いた。実際に建物をまじかでみて最初に思ったのは、風が強く吹いたような、ぶわっと自分の視界が開けたような印象だったのを今でも覚えている。物語が始まる予感がした。建物を何となく感じ取れた自分が少し誇らしくなった。でもそれと同時にセンスとか感覚を気にしていたことを恥ずかしくなった。

 

その建物は、機械のように念密に設計がされていた。初期の頃の作品というだけあって、武骨ではあるのだが、住宅は住むための機械であると言うとおり、全てに意味が持たせてある。コルビジェの特徴は光の建築と評されるように、3階建ての小さな住宅の中に大小様ざまな窓がある。時には丸であり、時には三角であり、時には空に向かって開いた中庭であった。それら全てに意味があり、重力に対しての構造という枠の中で、陰影や光の取り方に葛藤が垣間見えた。「すごいでしょ。頑張って作ったんだ。」そんな風に自慢気に無邪気に建物を語っているように、感じられた。

 

全ての物事に理由をつけていくそのデザインの方法に気づいたのは、僕にとって偉大な発見であった。窓が四角で同じ高さに並んでいる理由。屋根が平たんである理由。部屋をつなぐ動線として廊下がある理由。今まで常識として意識しなかった物事すべてに意味を持たせることで、よりいいものになること。自分が悩んでいたセンスや才能といったものは、もっと論理的に解決できること。設計をするときに考えるべき物事を見過ごし、考える努力を放棄していたということを、身体的に理解することができた。

 

安藤忠雄は世界中の建築や遺跡をみて、建築に夢を見たと言っている。少なくとも、何も知らない自分に、コルビジェサヴォワ邸は、建築を作るための考え方を教えてくれた。考えることしかできない性格であるのなら、誰よりも考え続けようと思った一つのきっかけでもある。「来いよ高みに。」ワンピースでエースがルフィに語り掛けていた。偉大なものは常に、ここまで来いと無言で人に語りかけている。

 

長い年月を経て語り継がれる言葉や物語には、何かしらの願いが含まれている事が多い。コルビジェは人が本当の意味で物を見ていないことを嘆いていた。夏目漱石は、明治から昭和に変わる時代の変遷の中で、家長制度から個人主義に変わりうる際のロールモデルの不在を憂いていた。その嘆きや憂いを少しでも変えたい、そんな願いがいつも含まれている。その願いを感じ取るためには、考えに寄り添い理解しようという能動的な怒力が必要である。「人はなぜ坂道を登るのだろうか」「そこから違う景色が見えるからじゃない」なにかのCMでさらっと語られていた。努力しないと分からない世界がある。そして、その努力をすることで分かる世界があり、少なくとも今までとは違った世界を見る事ができる。たとえその代償が孤独な道のりであったとしても、違う世界で見える景色への感動は何物にも代えがたい喜びがある。

 

今もそうだが、ずっと嵐の中を彷徨っているような気がする。終わりのない嵐の中を延々と歩き続けている感じがする。それでも考えることも苦労することにも背を向ける事ができないのは、その先に新しい景色があるような気がしているのだが、偉大な先人たちが歩んできた孤独な道のりを、否定したくはないという、同情によるものでもある。それは自分が悩んで孤独だった時に、横にいてくれたことへのお礼でもある。

 

物語を読むと、誰にも理解されずに、それでもなお自分の中の真理にたち向かっていく少年たちの葛藤が思い浮かばれる。今までにない新しいことを提唱するのは、なかなか人に理解され難い孤独なものであり、夢想的なその夢は少年のイメージがよく似合う。その少年の葛藤は時代が変わっても変わることとはない。今尚読み続かれている物語があるのだから。自分に出来ることなどたかが知れている。でも、可能な限りそんな願いに寄り添い理解してあげたい、そんなふうに思っている。頑張っているのに、誰にも理解されずに1人ぼっちでいるのは、とてもさみしいのだから。