川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

鬼滅の刃の竈門炭治郎が「俺は長男だから我慢できていたけど次男だったら我慢できなかった」といっていた。物語の中で唐突に出てくる言葉であるため、違和感がすごいのだが、好きな言葉として挙げられていることが多いため、とても実感として理解できるのであろう。立場が人を育てるというように、与えられた役割を皆が皆演じており、演じる中で何かを習得する。特に若いころに与えられる役割は、子供にとって世界のすべてであるのだから、意識的だろうが無意識的であろうが、人格の形成に大きな影響を与える。

 

次男を末っ子というのが適切かわからないが、僕自身が2人兄弟の末っ子であった。反抗するにしろ、それを乗り越えようとするにしろ、次男で末っ子は、常に先人である兄との比較を意識されることが多い。また、家庭の中で上の立場の者が下の立場のものを守るという構図が好まれる日本においては、末っ子は得てして甘やかされることが多い。守るものと守られるものという関係性の中で、末っ子としてわがままさを押し通しながら人の興味や関心を引く「術」を習得する。

 

人を変えるということは、その人自身から生まれてくる感情によってしか、本質的には変わらないと思っている。何百回小言を繰り出したところで、変わらない人たちを間近で見てきたし、何より頑迷な自分が変わらなかった。一族郎党を惨殺されてその復讐心から、誰かを初めて愛してその欲求から、大きな失敗をしたその罪悪感から。何かの大きな事件があって初めて、自分の中にあらわれる感情を自覚し、その自分自身から芽生えた感情により、その人自身を変えることができると思っている。自分に当てはめてみると、誰かの意識を変えようと思ったときに、人の罪悪感に訴えるという方法をよく使用する。

 

苦難の状況にある際に、自分の状況について何がどう無理なのかということを言っても、伝わらないことが多い。何がどう無理なのかをわかっていれば、自分自身で変えることができるのだから、うまく伝えることができないのは、当然だと思う。何に悩んでいるかがわからない。そんなことをよく言われる。そんなときは、その人の存在を自分自身から抹殺する。理解しようとする気持ちのない人に、何をいっても無駄なのだから、存在そのものをなかったことにすることが多い。抹殺するといっても、事務的な会話はよく行う。当然仕事である以上、その人とのやり取りをしなければならないが、その人の感情に訴えかけても無駄なため、設問を投げかける機械として認識する。笑顔でしゃべることも、怒ってしゃべることもやめる。ただ淡々とやり取りを行うことに終始する。そうしていると、ある程度の良心を持つ人だと、自分の言動や行動を気にするようになる。

 

僕自身が性格悪いなと思う理由に、死ぬまで意地を張りとおすことがある。死ぬまでとはあくまで比喩に過ぎないが、無理な状況で誰にも理解されずに、淡々と仕事をする際に、その時の自分の人生を捨てる。与えられた状況をこなす以外の目的はすべて捨て、その目的を遂行すること以外何も考えない。自分が与えられている環境は、あなたが与えたものであり、人という尊厳を超えてやれというのだから、その通りにやっているだけです。今の自分には、それ以上の解決方法がわかりません。そうやって自分の行動を貫いていると、同じテーブルに座ってくれることが経験的に多い。

 

同じテーブルに座って話すときにも絶対に感情的にはならない。今の状況に対しての、自分の心境・状況・上司の関わりを淡々と触れていく。自分の考えが間違っていようが、そんなものは関係ない。何もわからない中で、追い詰められてやっていて、間違っていて当然なのだから。冷静に淡々と自暴自棄になっている相手に、かける言葉はないと思ったときに、初めて自分自身のことを省みるようになる。教育するということは何だろうか。マネジメントとは何であろうか。とても大切なことだと思う。自分自身を省みずに、相手に理想を押し付けてばかりでは、なにも変えることはできない。それが罪悪感であろうが、何であろうが、自分の中に確かに存在する感情を自覚して行動することで、何かがよりよくなることを願っている。重要なのは場に対する敬意である。敬意をなくした自暴自棄など暴走でしかないし、そもそも人の良心に響かせることができない。

 

ひねくれたやり方なのだが、この手法しか取れないとわかった最後から4番目くらいの手段としてよく使う。末っ子として生き、与えられた役割の中でどうすれば人の興味や関心を引くことができるのか、そうずっと考えていたから使える方法である。極論を言えば、店の前で駄々をこねる少年と変わりはない。ただそこに、大人としての覚悟を載せているだけである。自棄という破滅を含んだ考えのため、誰にでもできるわけではないので、あまりおすすめはできないのだが、何も自分自身のためだけにやってるだけではないのだから、許してほしい。今後自分と同じような立場の人が、同じような苦しみを経験してほしくない。そういう気持ちから、相手に罪悪感を持たせ自分自身を省みるように仕向けている。そんなに悪いことばかりではない。口論になるわけでもないし、喧嘩にもならない。表面上は平和な解決方法である。

 

与えられた役割の中で、そうとしか生きられなかった状況において見出した、何かを解決するための手段を「術」という。善とか悪とか100か0では割り切れない、複雑な人間関係の中で、末っ子として見出した「術」は色々ある。何かに対してのリアクションとして興味深いテーマではあると思うので、もう少しゆっくりと考えていってみたいと思う。