川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

無垢の予兆

 

一つぶの砂に 一つの世界を見

一輪の野の花に 一つの天国を見

手のひらに無限をのせ

一時のうちに永遠を感じる

 

ウィリアムブレイクというイギリスの作家による、唯一知っていて好きな詩である。博士の愛した数学の映画のエンドロールに流れてくるため、知名度があるかもしれないが、この詩と出会ったのは2ちゃんねるまとめサイトだった。陳腐と言ってしまうのは、失礼かもしれないが、スレを立てたうp主は病床にある末期の女子高生であった。病気の重さを感じさせず、淡々とどこにでもいる女の子のような軽快さで質問に答えていき、昔の2ちゃんねる特有の連帯感があるスレッドであった。そんな女の子が、明るくレスに返信を行い、皆に励ましの言葉とともに最後にこの詩をつづった。10年以上もたっており、今ではそのまとめを探すこともできなかったのだが、この詩だけはずっと印象に残っていた。

 

砂漠の砂というのは、決まった大きさの粒の集まりである。風で巻き込まれ、舞い上がる一定の粒の大きさの砂が広大な砂漠を形作るのだそうだ。大学で葉っぱの上にたまった、水の雫の曲線の方程式を学んだことがある。水の粘度、重量、大気圧による外圧。境界条件さえ決定することができれば、微分積分を使用して、計算することができる。偉大なことである。一粒の砂に世界を見る。それは、砂漠に巻き込む風と砂の粒が滞留する境界の条件を規定する。理系からの観点だけでも、一粒の砂の世界に自然界に存在する数学的な摂理を見ることができる。井の中の蛙大海を知らず。でも、大きな空を知る。世界を余すことなくくまなく見ることは出来ないけれど、全体を規定する自然界の法則を一つの事象から想像することができる。それは、無限であり永遠の世界である。

 

なにを選び、何をやろうとも、そこには無限の世界がある。自分が正しいことをしているのか、それになんの意味があるのか、わけもわからないままに、意図せずとも今の世界を生きている。人生に生きる意味があるなんて巷でよく言われているけど、生きることに意味なんてないと思う。絶対あると言い切ってしまうのでは、飢えや病気や地震で不意に、生きる意味を考える間もなくなっていった人たちが浮かばれない。ただ、無限で永遠の世界の中で、生きる意味を見つけることは出来る。数学が好きな少年であった。無邪気に友達と数学の問題を解きあった毎日は、確実な問題の解き方と答えを教えてくれた。社会人と学生とで違うのは、問題を自分で見つけるか否かである。その問題を適切に提起するために、詩があり本があり歴史があり科学があり芸術がある。物事は色々な観点からみられるだけの余地がある。

 

振り返ってみると、ひねくれて、よくわからない道を歩いてきたけれども、そんな自分自身だからこそ見つけ出す真理を、ただただ真摯に書き残したいと思う。