川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

狂気の沙汰

アカギの名言に「狂気の沙汰ほどおもしろい」という言葉がある。クールな天才はいつになっても男子の憧れである。いかにクレイジーであるか。武勇伝を語る不良のように、いかに頭がおかしいかを友人達と競っている。男子校あるあるなのかもしれないが、いかに他の人にはない狂気をふりまくことができるかが賞賛を受ける大きなポイントである。クレイジーさにも色々ある。明らかに他の人が選ばないであろう生き方を選択し、自分の個性を存分に発揮できる道を選ぶこと。それは、何よりもわかりやすく、何よりもかっこいい生き方だと思う。でも、その生き方は自分にとって憧れではあったのだが、平凡な家庭に生まれた安定志向の自分には成しえないものであった。だからこそ「日常の中の非日常」を選んだ。

 

平凡なサラリーマンである。苦労をしたいという珍しい理由で現職を選び、終わることのない苦労にうんざりはしているのだけれども、無茶な仕事の上で平然と無茶な遊び方をした。よく飲む友達は、フリーランスである。翻訳の仕事や関わる業種の傾向から、飲み会の始まりは夜0時からで朝まで当然のように毎日飲む。遊び続けるということはとても難しい。自分の人生全てを賭けて飲み続けるという、無意識な鋼の意思がなければ毎日朝まで飲み続けることはできない。そんなことを教えてくれた貴重な友人であり、自分にはない感情や刺激を与え続けてくれたのであるが、当然普通のサラリーマンにとって、寝ることを除けば0時から予定がある訳はない。だいたい22時くらいにメールが入って、24時にこの店集合という連絡が来る。22時には働いていて断る理由もなかったから、飲みに出かけた。そして朝の5時まで飲む。そうすると次の日の仕事が始まる。そんなことを週2、3で行う。しわしわなスーツのまま、眠さをおくびも出さずに、仕事場に向かう。1日よく寝る日を設けて次の日には、飲みにいく。「仕事のために生きるのはかっこ悪い。」暗黙の了解のように、示し合わせれた考えが、いつでも飲み会に足を運ばせた。

 

そんな風な生き方をしている時に、友達から言われて猛烈に反省した言葉がある。ある程度責任を負う立場になって、その友達の誘いを断るようになった。まあ当然の話である。明日にはこの仕事をしなければならない。そんな普通の責任感を持ち、普通の感情で行動する。当たり前のように生きるその生き方を、疑問を持たずに選ぶ。無意識に仕事のために生きる生活を続け、自分が自分である理由がなくなっていた。ある程度仕事をひと段落して、久しぶりに友達と朝まで飲んだ時に言われた。「悲しかったよ。」陳腐な表現をつかえば、とんかちで頭を殴られたような衝撃であった。友達は言葉を続ける。「当然のように0時から飲み会に来て、しわしわのスーツでシャワーも浴びずに、また仕事に向かう。人のまばらな町の中に消えていくその後ろ姿は誰よりもかっこ良かったよ。そんな人はもういないんだと思った。」この言葉を聞いて誰に何を言われるよりも、反省した。仕事なんて言ってしまえば、代わりのきくものである。でもその友達にとって、自分は替えのきかないクレイジーな友人であった。そんな当たり前のことを忘れてしまっていた。

 

何のために生きているのと言われると、言葉は詰まるが、誰かにとって替えがきかないものになりたいと思っている部分がある。それは、友情や愛情のなんて語り尽くされた言葉で表現されるほどわかりやすいもではなく、替えがきかないというその一点のみに全賭けしている。妻にとっての旦那であるとか、子供にとっての親であるとかそんなものでもない。肩書きや血縁やそんな当たり前のつながりを言っている訳でもない。その人にとって、誰でもない自分という存在でいること。その一点のみに、全てを賭けているような気がする。

 

根本的にサラリーマンなど向いていない。独特の感性で一つの意見として聞くのであればまあ悪いことではないけれど、こんなことを思いながら仕事をしているのであるから、今いる上司からすればたまったものではないだろう。今海外で働いていて簡単に振り返ると、1年間不安を殺して仕事を続け、ロックダウンにより人と会えなくなることで限界を迎え、適応障害と診断された。適応障害は、ここに書かれているような過剰な自我から生まれている気がする。50前後の2人の課長の後任をしろという無理な障害に対して、適応できないのは、初めての海外では当然なのではないかとも思うが、あまり何も考えずに、言われたことをぽいぽい他の人に投げていれば、そうはならなかったとも思う。この状況から得た副産物的な知見によれば、過剰な客観性を持ち得るのであればうつ病にはならないのだと分かった。辛い自分がいて、冷めている自分がずっとそれを見ている。ここに書かれている文章もどこか他人事のようである。現時点で感じているうつ病になるかどうかの境は、自分のことを責め続けるか否かである。1年間働いてみて、自分の不甲斐なさは痛感してはいるけど、自分のことを100%悪いとは到底思えなかった。任命責任も果たさないマネジメントがいて、失敗してもいいとか、期待しているんだよとか、海外はみんな大変なんだよとか、適当な励ましを受けることはあるけれど、初めての赴任の若者の能力も考慮せずに空いているポジションにぽんっと置いただけなのだから、失敗しても全てがどうでも良くなった。

 

状況としては、新社員の時と同じである。建築を生業としていく上での膨大な知識と経験が、一気に頭の中に洪水のように流れ込み、自分は到底やっていけないと思った。多すぎる宿題を前にして、途方もなく佇んでいるような気持ちであった。ただ、周りで当然のように仕事をしている人をみて、いつかはそんなふうになれるのだろうと思っていたら、実際数年仕事を続けているとできるようになった。別に海外も日本と多少の誤差はあれども、言語の壁さえ突破できれば、やることなど変わりはない。当然のように現地の言語を使いこなし、異文化にいる人とのコミュニケーションの壁をぶち破ることができるのであれば、後は難しいことではない。難しいのは、直接的に現地のスタッフやお客さんと話すことが、以前に比べて圧倒的に少ない中で、現状自分ができる最大限の努力によりその能力を持ちうるにかかる時間と、当然できるだろうという期待との乖離が凄まじいということである。自分はできだのだからという適当な認識で、現状を真摯に省みる想像力の欠落による他人との意識のずれがとても苦しいと思っている。やれやれである。

 

仕事というのは自分にとってあくまで手段に過ぎない。辛い状況を経ることで、今までの自分にはない何を手に入れるのだろうかと思って、現職を選び、どんな状況でもほがらかに笑い続ける自分を手に入れようと思って生きている。なぜだか分からないのだけれども、思考を止めることができず、さまざまな状況における自分の感情を整理している。直感に従えば、何となく今後の自分のためにも、今の自分のためにも、生きるという行為を正当化するために、思考しているのだが、適応障害と診断されて、何となく仕事はしているが、毎日風来のシレンをやっている。現実逃避に他ならない。でもそんな状況でも、会社は回っているのだから、組織にとって自分などはそんなものでしかないのだろう。

 

いかにクレイジーであるか。それは、自分が個人的な付き合いを他の人とする上での、大きなテーマである。どんな状況になっても、しわしわのスーツを来て仕事に向かった自分を忘れないでいたいと思った。