川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

集合知

子供から始まって、今ある程度の年齢になるまで、たぶんほかの人より少しだけ、いろんな行動をしてきたと思う。安定志向の強い自分としては、いい面を伸ばすというよりは苦手な面を補強する行動が多かった。どんな時も笑っていられる平凡な人生を子供のころに志し、どんな状況でも対応できるようにかなりバランスに気を遣っていたのだと思う。平凡を目指すがあまりに、普通の人間が持つ欠点をなくしていくように、なんでも積極的に行う。そうなってくるとあまり、平凡ではない。積極的に苦手なものを克服しようと、悪戦苦闘しているうちに、なんだかよくわからない人間になった。今は何を目指しているのかもよくわからない。ただ、苦手を克服していくうちに少しだけ人の気持ちがわかるようになった。

 

好きな作家に浅田次郎がいる。大人になるとは。家族とは。男とは。どこにでもあるありふれたテーマを書いているのだが、社会からつまはじかれながらも、自分の人生を強く生きようとやせ我慢する男たちが書かれている。好きなセリフで、「人の上に立つ資格なんてのは特にありゃしません。苦労の数だけ人の上に立てるようになるもんです。」と言っていたものがある。原本が手元にないため、とてもうろ覚えなのだが、そうだなと思って、それを地で行こうと考えた。

 

小説が好きであったからか、元々感受性の強い性質であったからか、人の気持ちの機微にはとても敏感であった。一つ一つ発した言葉が適切だったかどうか。話した数時間後に、毎回省みる。その言葉が人に届いたのか。届いたとしても、それは適切だったのか。もう少し違う言い方ははあったのではないか。よくわからない反省を毎回行っている。飲み会も仕事も遊びも恋愛もすべて、人と接する機会には恵まれていたため、いつも自分の中で自分の言った言葉を反芻している。ある程度の苦労をしたと、少しだけ胸を張れるようになったこの頃、相対する人の状況・立場・感情を理解しない人たちの言動に疑問を抱くようになった。

 

誰かが失敗をしたときに、怒る人がいる。命の危険にかかわるのであれば、当然なのだけれども、とりとめのない失敗を小言のようにはやし立てる人がいる。ぼくから言わせてもらえば、とても不思議なのである。誰かを怒ったとして、怒られた本人が心を入れ替えて「はい!頑張ります。」と思うと思っているのだろうか。当然八つ当たり的な側面や、いらいらを抑えきれずに言う場合もあるのだが、やってしまったことはもう戻せないのだし、誰かを怒ったとして何かが良くなるようには到底思えない。

 

「怒る」と「叱る」では違うのだから、誰かが失敗した時には「叱る」べきだという人もいる。ニュアンスとして、自分の感情に立脚するものを「怒る」、相手の立場と状況に立脚するものを「叱る」そんなイメージがある。「叱る」にしても、論理的に言えばいいのか、感情的に伝えればいいのか。いろいろなアプローチがある。ここでは言葉のニュアンスについて論じたいわけではなくて、こういう感覚というものを手に入れるまでの教育が、あまりに属人的で運によるものだということを言いたいのである。

 

生まれたときから愛情を受け取ったという人たちは、誰かに何かを与えられることができるようになる。無条件で何かを与えられる人は、自分の想定していない何かをほかのだれかからもらうことができるようになる。とても良い循環を作り出す。自分の感情に自覚的な人は、やりたいことをやるようになる。やりたいことをやっていくうちに、やりたくはないけれども、やらなければならないことにぶつかって、自分の中に折り合いをつけながらやっていく。そうすると、できることがどんどん増えていく。

 

逆に言うと、愛情を受け取っていないという人は、誰かに何かを与えることができない。利害関係を強調し、よほどの親切や仲間意識というものを持たない限り、関係性をうまく作ることは出来ない。また自分の感情に自覚的でないと、自分のやりたいことと同時に、やりたくないこともぼんやりとしているために、毎日を耐えるように過ごすことになる。それはそれでかまわないと思うのだが、自分の世界が広がっていかない。

 

別に、「こうあるべき」というものを語りたいのではない。人が一人の人間として生きるのであれば、家で引きこもって暮らすのも、外に出て人と触れ合って暮らすのも、どちらでも構わない。この世の中を見ていて思うのだが、その状況を形作るのがあまりにもその人の生まれという運による要素で成り立っているというのが、いただけないと思うのである。

 

個人個人が尊重されるようになり、世界にはいろんな情報があふれるようになった。主観的な感覚だが「良い」情報も「悪い」情報もある。ただ、その情報をうまく活用できるのはその人自体のレベルに左右される。ジャンクフードのような食べ物を摂取するように、ジャンクフードのような情報を拾い続ける人。会員制の高級クラブのような人握りの人たちしか得られない場所に行くように、限定された経済的な価値の高い情報のみを得る人。どちらの人もいるからこそ、その社会に厚みが出てくるとも思うのだけれども。あまりにも、持って生まれた状況に左右されてしまう。無数の核家族の集団によって、無数の個性というものが生まれていくという考えもできなくはないが、学校というかなり一意的な教育を行う中で、学びとは・幸せとは・愛情とはといった根源的な問いに対する問いかけがあまりなされない状況では、多様な状況はあまり生まれない。本来宗教が一般的にその役割をするのだが、日本という独特な宗教観が占める世界においては、雰囲気としては共有されるが、個別の具体的な掘り下げや問題の解決がなされない。

 

個人的な生い立ちを書いていくと、愛されて育ってきたと思う。だから世の中に感謝しているし、それを還元しなくてはならないと感じている。ひねくれてはいるけれども、その気持ちが強いため、今でもいろいろなつながりがある。自分の中に大人にならなければならないという気持ちが強かったため、がむしゃらにいろんなことをした。部活も勉強も趣味も本も恋愛も飲み会も人間関係も、知的好奇心という側面が多かったからか、いろんなことをした。当然その生活の中で、自分の殻を破るようなそんな実感が得られた瞬間が度々ある。別に違う人生を生きたとしても、自分の性格であれば、同じような経験をしたことだと思う。

 

海外で仕事をしていて、集合知が全く生かされないことを憂いている。初めての海外の若者が行う仕事を、当然のように日本と同じように設定し、衝突する文化の壁や言語の壁を上の方がたは考慮をしない。役所に提出するべき申請のフローも、その場に立ってわからない状況ながらも初めて理解を行い、何となく学び取っていくのだが、その不都合に立って削られたメンタルを先読みして、教えるという行為を誰も行うとしない。みんなそうやってきたんだよという、思考停止の壁の前には発展の余地がないと思う。もう少し、システマチックでも、おせっかいでも能動的にかかわって、教えることで、恩義や義理を感じて頑張ろうという、一人の意思を生み出すことによる会社全体に対する利益をなぜわからないのだろうか。その簡単にでもわかる想像力と実行力の欠如こそが問題であるのだと思う。自分が上の立場であったのならば、懇切丁寧に教えて少しでも初めての地で頑張りたいと思ってもらおうという、気持ちは持っている。

 

「人は変わるのか」これは自分の中で大きなテーマである。自分は常に「変わりたい」と意識し続けていたため、変わることは当然のことであるし、そもそもその根本の意識は変わっていない。子供のころに芽生えた意識は、そのままであるのか。変わらない人は変わらないのか。そのテーマに大きな興味がある。

 

言いたいことは、この社会に生きていく人には、あまりにも集合知が活用されていないということである。あまりにも運に左右された社会の中で、自分の人生なんだから自分の責任で生きろという意見には同意をしかねる。困った状況にいたとして、適切な情報を適切な時期に知らなくては、なかなかその状況の改善の見込みは難しい。そして得てして適切な情報は、それを欲しいと思っている人にしかおり立たないものである。今の現状の辛さの理由も、それをどうにかする方法も、この世の中のどこかの本に必ず書かれているし、熟知している人が必ずいる。だが、その方法を欲することも、それが必要と思えることも、自分自身に対して希望や努力の意味を見出している人に限られてしまう。想像できることは実現できる。ある種それは真理だと思うのだけれども、そもそもの想像ができない状況においては、実現などできるわけがない。それは適切な状況なのだろうか。普通の生活を核家族の中で育って生きてきた人には、その核家族と出会った環境以上の知識が活かされない。もう少し、能動的にかかわるおせっかいな存在が必要なのではないかと思っている。

 

「悪」という存在がいたとして、悪が生まれるのには理由がある。身に背負う業も、社会に対する恨みも、脳に抱える機能も、何かしらの理由があって「悪」という存在になる。その人が悪になりたいと思ったというよりは、ならざるを得ない事情があるのだと思っている。別に悪意を否定する気はないし、社会の成長のためには必要な要素であると思うが、誰かを呪いながら生きるその状況の辛さよりは、笑って生きていった方が、いいことなので、よほどの事情がない限りは、教育や共感といった形で解消されていった方が社会の役に立つと思う。

 

最近私塾という動きが増え始めているのを感じる。地域に根差した、緩いつながりを持つ共同体を作ろうとする動きである。幕末の時代の吉田松陰塾のような、平凡な身分から日本を変えられるような、そんな意識を勉強する集合体である。それはいい試みであると思う。違う世界を生きる複雑な人々が交わることができるのならば、少なくとも複数の世界を把握することができる。あまりにも同じつながりの人種とつながっていただけでは、世界は変わらない。

 

地元にアーケード商店街がある。割とさびれてはいるのだが、ぽつぽつと感じのいいおしゃれな店が出店している。建築のコンぺでコモンというのは、よくあるテーマであるが、人々のたまりが自然とできるのが個人的には良い町であると思う。僕自身能動的に、うろうろしていたからそれなりのコミュニティに属することは出来たけれども、もっと敷居の低い、図書館のような、公民館のような、古民家の囲炉裏のような、そんな公共とプライベートが共存するような場所が必要であると思う。地元のアーケード商店街にも、そんな場所が出来たらとてもいいことだと思っている。

 

愛情とは無条件に与えるものであり、当然人にはもともとが持つ愛情自体には多寡があり、それを独占的に一族に与えるだけという発想だけではあまり面白いものが生み出されないと思う。根本的に愛情は、おせっかいな、相手への無条件の贈与であって、その贈与を受け取ったと感じられた人が、ほかの人へ贈与をできるようになる。それが人間同士の関係性構築の根本的な考え方であると、現時点では思っている。その正の循環ともう言うべきループを知らなければ、持続的な関係の構築はなかなかに難しい。その贈与を感じられる空間が必要なのだと思っている。

 

私塾であれ、地域の活性化であれ、勉強会であれ、学校と家庭以外の半公共的で半私的な地域に根差した身体的なスケールの空間の構築が社会には必要であると思う。幸運にも自分の中に蓄積された、知識や経験をどのようにして社会に還元していくのか。出来ることが増えてきたので、少しずつ考えながら自分にしっくりくるスタイルというものを探していきたいと思う。