川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

ヒカルの碁

いつでも黄金時代は昔であるように、過去の想いでは大抵のものが美化されている。どんなに退屈であったとしても、どんなにつらかったとしても、何かを食い入るように見たり行ったりすることは、勝手にきれいな思い出になる。改めて今再度見直したときに、昔以上に感動した物語があった。ヒカルの碁である。

 

素晴らしいと思うのは、構造である。SF小説ともとれる、師匠となりうる佐為(幽霊)が存在し、その佐為の存在がヒカル(主人公)の碁の成長を導く。師弟関係そして、そのライバル関係。師弟ともにライバルがおり、それぞれがそれぞれの「神の一手」を目指す。過去と未来をつなげる。それがヒカルの碁の最も根源的なテーマなのだけれども、世代の変遷・意志の引継ぎ・自分の存在意味・才能の世界での葛藤、かかわる人すべての心境が絵とともに丁寧に描かれており、とてもきれいな作品だと思った。

 

アカギとも共通するけれども、こういった作品で碁についての知識はあまり必要がない。「初手天元!!」「左上隅小目」「星」。全くよくわからないのだが、なんかわからないけど感動してしまう。新しく深く何かを知ること。自分のちっぽけさを思い知ること。それでも頂きに立ちたいと思って行動したいと思えるほどの動機と出会うこと。それはどんな分野であろうが変わらないのであろう。

 

好きなシーンが3つある。主人公に取りついていた佐為が突然消えて、碁の中に佐為を見つけるところ。ヒカルが初めてプロになり、名人と戦う際に佐為が代わりに大きなハンデを自分に課して対決するところ。佐為がネットの中のみに名前を出して、名人と初めてオンラインで本気で対決するところ。それぞれに好きなセリフがある。

 

「いた…どこを探しても見つからなかった佐為がこんなところにいた…」「できれば互い戦で打ちたかった。なんで君がこんなことをしたのかはわからないが、それでも君の持つ何かは隠し切れない。」「私はヒカルにこの一局を見せるためにこの悠久の時を生き永らえさせたのだ。」「碁は2人でなければ打てないのじゃよ。」

 

そのセリフだけで全ての状況を暗示できるほどの意味を込めており、簡潔に言いあらわしたそのセリフと、絵の演技がとても分かりやすく、不必要な全ての言葉をそぎ落としている。

 

坂口安吾堕落論の中で、次のように言っている。「美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識してなされた所からは何も生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のある事、ただ、そのやむべからざる必要に飲み応じて書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が美をうむのだ。 - 問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の生命と引き換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。」

 

友情・努力・勝利のジャンプの基本原則に、師弟関係、世代関係を追加して、必要のみを描いたこの作品に、今の自分は美を感じた。時代を超えても推奨できる稀有な名作であると思う。