川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

上司

海外で囲まれているのは2回り以上の上司であった。建設業ではよく聞く話であるが、氷河期もあってか、40代の構成する働き盛りの人員が少ないため、今まで直属の上司は少し上か、大分上の人が多かった。建設業は過酷である。何も疑問を持たず、当然のように土曜日も祝日も働き、朝は7時から夜も22時まで働くことは普通のことである。周りの友達からしても、どう考えてもおかしい働き方を続けており、それ以上に過酷であった2回り上の上司たちは普通ではない。少し、率直な意見を書きたいと思う。

 

当然のように、土日も祝日も朝も夜も働くためには、自分の中に正当化できるだけの理由がないと続かない。建設業の特徴に、完成形として建物が出来上がるため、とても分かりやすい仕事である。お客さんや設構備協業して計画を作り、技術的に建てられるかを検討し、膨大な見積りを作り、申請を出し、図面を書いて、職人に指示して、周囲への理解も行いながら、建物を作っていく。ある程度大枠では同じ建物でありながら、それぞれが個別の要件になっているため、どれもが独創的である。その世界で生き延びて、今でも第一線に立って働いている人というのは、仕事をする速さも、正確さも、全てが一線を画している。

 

海外と日本で明らかに違うのは、一緒に働く人々がプロフェッショナルかどうかである。日本だと、どの業種のどの人と話していても、実現可能な技術や補償や契約を期日の約束を守りながら話すことができる。ただ、海外における建設業では、ローカルの会社には自分の製品を保証するだけの確証がないことが多く、原則は壊れたら直すである。日本的な建物を世に送り出すためには、全てを自分の目で見て、論拠を述べるだけの知識を得て、適切に指示して、確認して、仕事を進めていかなければならない。対応する人数にも限りがあるため、人が対応する範囲は必然的に、広範囲をカバーしなければならない。

 

その中で生き抜いてきたのが、今の上司である。日本では考えすらも起きなかった細かい事象についても確認し、その返答を求める。プロとしての知識も、一般的な総務も全てを一手に引き受けなくてはならない。尋常なことではない。海外特有の事象と曖昧な環境に囲まれて、日本と同等の要件を会社は求める。そんな中で生きてきた今の上司を一言で言うのなればプロフェッショナルであった。古い会社特有の職人気質の性質を持ち、頑固な考えで協力会社にも日本と同等な品質を求める。図面をチェックし、工場をチェックし、現場をチェックし、お金にも妥協はしない。

 

プロは相手にもプロを求める。周りに対してプロを求めることはできないのだから、入ってきた部下にプロフェッショナルを求めるのは当然のことであろう。海外という初めての土地でコロナという特殊な状況下で、当然のように仕事をこなすことを求めるそのスタンスは、普通の人であれば相容れないだろう。話をしていて、1週間で分かった。机の後ろの席には膨大な数の資料があり、語られる言葉は厳密で、常に問答に逃げ場がない。それは数えきれない逃げ場のない苦労の結果なのだと。今回これ以上この環境で仕事をしていくと、自分の何かが壊れると思った。誰に迷惑をかけようが、上司の負担が大きくなろうが、そこから逃げなくてはならないと思った。

 

だからこそ全てを伝えた。どうやっても今の自分に与えられている環境は異常なものであり、それを鑑みない上の方々の方針にはついていけないと。今のまま組織を運営していって残るのは、よほど無神経な人か鈍感な人でしかない。強者しかいない組織というのは、とてもぎすぎすする。相手の立場や状況を省みない発言を言える人だけが、残れるのだと思うが、そんなものは新たな風通しの悪さを作っていくにすぎない。

 

上司には知識も経験も全てある。足りないと思うのは斟酌であると思っている。少なくとも、事務作業を肩代わりし、いろんな物を積極的にやろうとしていた若者がいなくなったことで、我が身にふりかかる苦難から、自分の考えを見つめ直すと思う。今でもその技術力を尊敬している。海外でも厳密であろうとするその姿勢も、今の自分では到底ついていけなかったが、今後折に触れてその凄さを実感するのだろう。

 

老害とか頑固とか時代を分からないという話で済ませるのは、とても簡単な話である。でも、お互いの状況を歩み寄ろうとする意思こそが、持続可能な良い組織の運営に必要なのではないかと思った。