川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

言語化

言語化をすることのおもしろさの一つに、複数の世界をつなげるということがある。文学など、特定の人が書いた、特殊な条件における、特異な事件を描いているだけである。ただ、そこに書かれているものの焦点や、書き方に注視することで、自分とは違う世界の違う認識方法を知る。志賀直哉が書いた「城の崎にて」において、蜂が体を掃除して、飛び立っていく描写が描かれている。小気味のいいリズムとやわらかい表現を使用し、丁寧に蜂の様子を描いているのだが、その動きが目の前に映し出されるようである。言葉が食べ物のおいしさを完全に伝えることができないように、言葉が完璧たることはないのだが、文字や口伝により、様々な情報が伝達されてきた。大人になっても子供の時の趣味を続けているが、むしゃらにやってきた子供のころとは違い、言葉として認識することで、理解を加速させることができる。純粋な子供のような吸収力はないのだけれども、違った楽しみがある。

 

自分の体の使い方を案外人は知らない。「考えるな感じろ」とキャッチーな言葉をうのみにして、理屈で考えることをあまりしない。本を読むのが好きで、漫画が好きで、ピアノが好きで、飲み会が好きで、数学が好きで、建築が好きで、柔道が好きなのが自分である。複数の世界を今でも持っており、それぞれがそれぞれに、言語を通して繋がっている。体の使い方というものに焦点を当てて、そこから重力というものの関係性についての他の分野での繋がりの一例を例示してみたい。

 

ピアノを弾いているときに、「アレクサンダーテクニーク」という骨格の使い方を体系的に書いている本を読んだ。鍵盤を弾く際に、指の先端に安定した力を伝えるのには肩甲骨と自分の体重を意識するというものであった。「ドレミファソラシド」と音程の違う音を違う指で、均等に同じ力で弾くためには、ちょっとしたこつがいる。何も考えないと、指先だけの力で弾いてしまいがちなのだが、手首を回すと指の稼働範囲を広げることができる。肘を使うと、指の先端と肘との向きをそろえることができる。肩甲骨を意識すると腕の重さを利用して、鍵盤を押すことができるようになる。体の体重を意識すると、腕の重さとプラスして体の重さもピアノに伝えることができるようになる。

 

ジョジョの奇妙な冒険第六部」のジョンガリ・Aがかっこいいことを言っている。

「筋肉」は信用できない。皮膚が「風」にさらされる時、筋肉はストレスを感じ、微妙な伸縮を繰り返す。それは、肉体ではコントロールできない動きだ。ライフルは「骨」で支える。骨は地面の確かさを感じ、銃は地面と一体化する。それは信用できる「固定」だ。

 

ピアノを弾く際にも変わりはない。筋肉は信用ができない。指先であろうが、腕の力であろうが、筋肉を使用した際の絶妙な力加減は、コントロールが非常に難しい。使うべきは重力である。論理は簡単である。「ドレミ」と弾く際、親指・人差し指・中指と順番に弾いていくのだが、先に示したように、それぞれの指の先端と肘の向きをそろえることで、作用点である指の先端と腕の重心の位置ををそろえることができる。腕全体にかかる重心を意識し、親指・人差し指・中指と都度腕全体を回していくことで、それぞれの指に同じ腕の重さが伝わる。体全体の傾け方により、そこに強弱をつけることができる。言われればそうかもと、納得がいくし、この体の使い方を意識して練習すると、かなり安定度合いが変わるのだが、このように説明してくれる人は少ない。

 

武道も同じように言葉で説明することができる。柔道において、相手を投げるためには、崩しが必要になる。崩しとは、相手の重心の位置をずらすことを言い、前に崩せば相手を担ぎ、後ろに崩せば足を刈れば倒すことができる。抜きという技術があるが、ひざから急に立つことへの支えを外すイメージを持ち、自分自身のひざを抜いてその瞬間的な重力の変化を利用して、相手の体勢を自分側に引き込むと相手の体勢は大きく崩れる。酔っぱらって記憶のない成人男性を持ち上げることの、多大な労力は知っている人が多いだろうが、脱力による自分の体重の変化を相手に即座に与えることができれば、それは大きな崩しになる。また、支えつり込み足という技があり、相手を前に崩したときに、相手の足首に自分の足をあてがい支点を作ると、簡単に重心をずらすことができ、立ち方のわからない人を容易に投げることができる。やって覚えてうまくいった感覚を調整していくという方法も悪くはないし、体育会的な根性論のノリも嫌いではないが、大人からの論理的な視点で、無駄な道のりを少しショートカットをすることができる。

 

いい建築とは何かと定義するのはとても難しいのだが、一つの視点から見ると力を感じる建物ととられることができる。丹下健三による代々木の国立体育館は非常に有名であるが、2つの柱を結んだ2つのケーブルがあり、そのケーブルに鉄骨の屋根の母屋をぶら下げることで、釣り天井を作っている。構造を合理化していくと、それぞれの鉄骨の部材の大きさは小さくなり、それに伴いケーブルと屋根の鉄骨部材のそれぞれの曲線が決まる。重力という枠の中での最大限の合理性の追求により、洗練された、軽やかな建物が生み出される。

 

ある程度重力というテーマに絞って言語の共通項をまとめてみたが、色々な切り口で、色々な世界を理解することができる。何かを突き詰めてやっていくと、ほかのことに転用できることなどいくらでもある。個性が重要というのは、その人が持つ独自性をほかのものでも、必ず生かすことができるからである。そんなときにおすすめなのが、言語化による記憶と、その記憶のアウトプットによる、他への転用である。世襲が根強かった日本では、専門的な考え方と一所懸命という姿勢が尊ばれがちであるが、今のIT化が進んだ世の中において、活かしやすいのは自分の専門を他に転用する独創的なアイデアである。独創的とは言っているが、自分が普段当然のようにしているものは、ほかの人にとって見れば、特異なことで、それを活かす方法させ見つけ出せば、金になったり、エンターテイメントになったり、誰かの助けになったりすることは多い。