川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

本の紹介

どんなに引っ越しをしようとも、毎回ついてくる本がいる。買っては捨ててを繰り返しているけれど、歳を経るほどに読み方が異なる本は、いつも見えるところにおいてある。もういやだ。そう思うことは色々あるけれど、そんなときに現実逃避をするために難解な本を読む。そうすると、少しだけ現実から離れられる気がする。

 

分かりやすいことが好まれる時代である。キャッチーな言葉で、一目で人を惹くことを今の人は主題にする。でもそれは、株式会社的な個人主義的な近代の考えである。たまに、中学で見た一番好きな映画のラストサムライを見返すのだが、どんなに近代化がなされて科学が進化し、技術が進もうが、今の自分たちを作っているのは、過去から受け継いだものだけである。「自分たちがどういう人間であったか忘れてはいけない。」良いことも悪いことも含めて、今の自分たちがある。どうしても流行になじめないのも、好きなことで生きていくという生き方に従えないのは、よく言えば過去生きてきた人々に敬意を払っているからである。

 

分かりやすいものが好まれる世の中で、あえてわかりにくいものの紹介。ワークライフバランスといって、自分の楽しさというものを追求することは、とても素晴らしい考えだけれども、不自由な状況の中で、時には自由を求めて、時には何かを守って、命を懸けて生きることは、案外幸せだったのではないかな思える本。受け継がれ伝えられるものはそれだけの理由がある。そうやってブラック企業が醸成されていくのだから、それも考え物だけれども、一つの考え方の補助線として。辛い状況を乗り越える一つの方法として。

 

浅田次郎 「壬生義士伝

一般的にはモブである新選組の1浪人を描いた作品。二駄二人扶持の貧乏侍が、脱藩し己の才覚を、家族のために生きるために使ったお話。

「人の器を大小で評するならば、奴は小人じゃよ - しかしそのちっぽけな器は、あまりに硬く、あまりに確かであった。」

 

夏目漱石 「虞美人草

初めて出版するために書いた処女作。人や物の描写等まどろっこしい言い回しは、面白いけど読みにくいが、少年ジャンプのような熱量で書いた作品。

「真面目とはね。君、真剣勝負の意味だよ。相手をやっつけなくてはいられないって意味だよ。」

 

谷崎潤一郎 「春琴抄

盲目の三味線弾きの少女とお付きの男のわかりにくい恋心を描いた、つんでれの原点とも言える作品。琴の師として弟子に対峙しその挙動を常日頃から恥ずかしむるる様子盲目で独身なる偏屈さを感じられるも凛と端座した端麗な口元から発せらりける言葉誠に痛快で優美なる事この上なし。人間の奥底にあるマゾヒズムという感情を、特殊な背景を持つ特殊な二人に持たせるとこういう答えになったという、ある意味必然とも思えてしまう関係性の特殊解を巧妙に描いている。

「天鼓のごとき明蝶の囀るを聞けば、居ながらにして幽邃閑寂なる山峡の風趣を偲び、渓流の響の潺湲たるも尾上の桜の靉靆たるもことごとく心眼心耳に浮び来り、花も霞もその声の裡に備わりて身は紅塵万丈の都門にあるを忘るべし、これ技工をもって天然の風景とその徳を争うものなり音曲の秘訣もここに在りと。また鈍行の指定を恥しめて、小禽といえども芸道の秘事を介するにあらずや汝人間に生まれながら鳥類にも劣れりと叱咤することしばしばなりき」

 

ジョージオーウェル 「1984

世界が3つの大国に併合されて人員の思想がコントロールされたディストピアの世界を描いた作品。真理省と愛情省と平和省と豊富省により統治された世界。過去を書き換えることが当然の世界であれば、人の考え方などいかようにもなるという並行世界を描いている。

「対立が生み出す矛盾のことを完全に忘れなければならない。次には、矛盾を忘れたことも忘れなければならない。さらに矛盾を忘れたことを忘れたことも忘れ、以下意図的な忘却のプレオスが無限に続く。」

 

ル・コルビジェ 「建築を目指して」

建築を設計するにあたり、心構えを書いたような本。もの見ざる目。いかに人が物を見ていないかを嘆いていて、建築とは住むための機械であるというとおり、部分的な意味を大切にしている考え方を説いている。

 

九鬼周造 「いきの構造」

大正時代に描かれたいきについて構造を解説した作品。語源的な考察、時代の確認、宗教観。複数の立場からいきの構造についての説明を論理的・端的に行っている。

いきとは、垢抜けして(諦)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)なのだという。いきの根底は色恋にあり、それをはねつけるだけの心の強さがあり、真剣さを免れるためのあきらめが必要なのである。

 

内田樹 「日本辺境論」

日本人の考え方・行動原理を辺境という切り口で、描いた新書。日本という国名そのものが、中国を起点としている通り、常に絶対的な何かに対しての相対的な位置を確立している。何かを主体的に引っ張て行くというよりは、後の先を取るような意識により今の日本があるという考え。論理的というよりはビックピクチャーを描いており、わかりやすく肩肘はらない本。

 

坂口安吾 「堕落論

人は生まれ堕ちたときから堕ち続けているという堕落を勧める本。本当は、一切の堕落をし先の、根本的で根源的な人間的な感動や感情こそが真に必要と説いている。

「人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけである。しかしながら、人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。 - だが他者からの借り物でなく、自分自身の純潔なるものをとどめ、自分自身の武士道ないしは天皇を編み出すためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのである。」

 

山本兼一 「利休をたずねよ」

才覚に優れた千利休がなぜその才覚を持ち続けることができたのか、内面の動きと周りからの見られ方を含めて、丁寧に描いた作品。同時代を生きた秀吉との確執が生まれる様子を描いており、歴史小説というよりは、頂に立ちうるための素養や気質また、それにより生じる確執を教えてくれつつも、心の内に秘める激情と静かなる侘び寂びを体現する茶の世界を描いた、静と動入り乱れるドラマティックなお話。

「あの日女に茶を飲ませた。それからだ、利休の茶の道が、寂とした異界に通じてしまったのは。」