川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

逆境

何かの選択をする時に、何となく「おもしろそう」な方を選ぶ。その選択をする際の自分の一つの癖に、逆境を楽しむということがある。中学校の時に、何かの漫画で「人生を楽しむ秘訣は、逆境を楽しむことにある」と書かれているのを読んだ。今では漫画の題名すらも思い出すことは出来ないのだが、ひねくれた少年にはとても格好いい生き方に思えた。いつも逆境を乗り越えた時には、今までの自分が持っていない新しい感情と出会うことができた。個人的にそれは、とてもおもしろいことである。

 

自分の中にある秘めたる成功体験は、未来の行動に影響を及ぼす。失敗を笑いにする人は、知らず知らずのうちに失敗を呼び込む。失敗という自分の弱みをさらけ出すことで、人を自分の領域に誘い込みやすいことを知っているからだ。しっかりしていない人がいるが、しっかりした人が結局のところ助けに来ることを、経験的に知っている。人にしっかりしなさいという言う人は、善意もあるのだろうが、誰かを指摘する自分自身を認識することで、自分の優位性を確かめている。変えたいのであれば、首根っこを掴んで崖から放り落とすか、侮蔑の目で見つめた方が早い。言う方と言われる方、互いが互いの状況を甘んじて受け入れている。成功している人に理由があるように、失敗する人にも理由がある。余分なエネルギーを要しない等速直線運動を行う物体のように、状況は違えども今までの生き方を踏襲している。人の本質などは変わらないと思っている。今まで生きた秘めたる成功体験を繰り返しているに過ぎない。

 

重要なのは目的である。誰かを観察するときに必要なのは、その人自身を見ることではなく、その人が見ているものを見ることである。その人が目指しているものを理解すると、その人の感情の向かう行先と方向性を理解しやすい。誰かに叱られたとて、その人が叱りたい気分であるのならば、その言葉が込める想いに意味は薄い。自分自身が何がしたいのかを内省的に考える性格であっただけに、ほかの人が何をしたいのかをじっと見ていた。自分自身の利益のために叱る言葉には、どうしても興味が持てなかった。この人は何のためにその発言をしているのか。好きとか嫌いとか、良いとか悪いとか、そんな感情を抜きにして、いつも人をじっと見つめている。とても性格の悪いことである。

 

逆境を楽しむとは、本質的には破滅の考え方である。逆境を乗り越えることで、確かに成長はしている。自分自身の成長を実感できることは、おもしろいことである。そうすると、さらなる逆境を求めることになる。その一連の流れを逆境を楽しむという。ただ、人間に死という限界がある限り、逆境にも限りがある。成長にするについて、成長の限界を突破するための逆境は、常に深く苦しくなっていく。高所の綱渡りのスリルを求めるために、限界の末いつかは落下をしてしまう人がいるように、究極の逆境とは命を賭けることになる。

 

薬というのは、基本的に毒でもある。毒の耐性をつけるだけの、適切な接種量を薬という。健康であるのならば、わざわざ毒も薬も服用する必要はない。逆境なんてものは、進んで求めるものでもないし、苦労なんて避けるに越したことはない。逆境に身をおくことで、手っ取り早く成長を手に入れるという、自分の中の成功体験を繰り返しているに過ぎない。

 

今も初めて仕事で海外に来て、逆境と言える状況にある。「おもしろそう」という理由で何となく海外に来た。初めての環境で、自分の心を支える何かを探すことから初めて、毎日謝りながら仕事をしている。とても疲れてきたのではあるが、海外に来て「不安でいることに飽きる」という、初めての感情に出会った。言語も法規も人も材料も立場も違う中で、お客さんからの要望に答えて、期限を守らなければならならい。何も知らないため、気持ち的にも資料的にも用意が十分でない中で、毎回崖から飛び降りるような気持ちでお客さんとの打ち合わせを迎える。怒られたり、白い目で見られたり、相手にされなかったり、様々な負の感情を抱える。考えすぎる性格も相まって、休みの日もどこにも行かずに考え続ける。今抱えている悩みを、違うことで発散しようとしても問題の解決にはならないため、他で発散しようという気にならない。そんな毎日を過ごしてくると、不思議とその状況に飽きてくるという気持ちになった。不安で不安でしょうがないのであるが、ある意味今の状況の中で、不安の下限を知ったため、それを覚悟することで、不安に対して考えることをやめたのだと思う。不安でいることに飽きるという方法で、独特の平穏を手に入れた。その初めての感情に対する対応は、とてもおもしろいものであった。そうやって自分なりに逆境に対する密かな楽しみを持っている。

 

このまま生き続けていくと、最終的に死ぬ間際のギリギリの感情はどういうものなのか、そんなことを思いかねないと感じている。おもしろいものを知らず知らずに選択するうちに、不幸になっていく予感もする。不幸を乗り越える物語が巷で溢れているのは、そこに強い共感があるためなのだが、その感情を理解しようとするために、知らず知らずに不幸を呼び込むからである。アメリカの作家にアルコール中毒者が多いのも、日本の作家で死ぬことで自己を完結させたりするのも、その気持ちがわかる気がする。

 

あくまで逆境を楽しむのは、手段に過ぎない。自分が向かっている目的に行くまでのその手段が、現在目的になっているような気もする。不安に慣れてきたため、他のことにも考えを割く余裕ができてきた。少しすると、今持っている不安や辛さや孤独を忘れて、新しい感情に出会ったというおもしろさのみが自分の心に残る。不安や辛さはその時の一時の感情で、新しい感情は今も自分の心に残っているからである。そうすると、結婚や安定から離れて、さらなる苦難を求めるようになる。一体自分が何をしたいのか、よくわからないのではあるが、なんでもやりすぎるのは良くないと知っている。環境に適応できたというのは喜ばしいことではあるのだが、逆境を楽しむという状況に中毒にならないように、少し自分を諌めようと思った。

 

 

 

テーマ

論文を書く際には、テーマ決めが重要になる。それは教授から与えられたり、自分で考えていったりするのだが、テーマを決める時点で論文の半分以上が決まってくるほどとても重要である。データを恣意的に捻じ曲げ、結論に沿うように、過程を変える報道などを目にするが、看過はできないけれど気持ちは分かる。一つのテーマを決めた後に、ある程度の結論を想定し、色々な実験を行う過程には膨大な労力を要する。今までの行いが否定される実験結果が出て来た時には、自分の存在を否定されるに等しい。逆に言えば、自分自身を否定する結果が生まれたときこそ、面白いともいえるのだが。その繰り返しが論文を書くということである。そういう理系的なことをやっていたせいか、自分自身の人生にもテーマを設定するようになった。それは「平凡な人生における、様々な状況での自身の感情の状態とその変化に対しての考察」である。人生のテーマを決めるためには、自分を知らなければならない。

 

昔から酔狂なものが好きである。無駄なことに命をかけている人が好きである。ああしなさい、こうしなさい、そういうメッセージが世の中にありふれているため、それらに反抗したいからそう思うのだろう。今まで生きてきた中で周りには尖った人が多かった。尖っているとは、人の能力や性格を数値化したときに、それが良い意味か悪い意味かはさておき、何かしらの突出した部分がある人たちのことである。そんな人に多く囲まれていたためか、自分のことを平凡な人間であるとおもっていた。少なくともそんな人達は自分にしか出来ないことをやっており、いつも楽しげであった。周りの人に憧れることはあったが、その人固有の突出している能力が故に、到底真似ることはできなかった。だからこそ自分自身にしかできないことは何だろうかと考えた。なんとなく生き続けて、ぼんやりとそう考え続けていった時に、いくつかの考えが浮かんだ。平凡であること、考えすぎること、理系であること、本が好きなこと、冷静なこと、今の時代を生きること、突き進むこと。そうやって次第にテーマが形作られた。テーマで重要なのは自分にしか成し得ない独創性と他にも活用できる再現性である。自分自身の平凡な人生の中で、様々な状況、特に自分では想定しえない状況に追い込まれた時の自分の感情や行動、そういったものは一体どのようなものであり、それを経ることで何を見出すのか。自分自身を毒蜘蛛に噛みつかせて、自身の昏睡状態・状況を描写する生物学者と発想は一緒である。マッドサイエンティスト、それは酔狂である。そういう感情の中に、より感動や喜びを導き出すものはあるのか、また同時に万人に通ずる普遍的な真理はあるのだろうか。その考察・検証こそが自分の人生に対するテーマである。

 

理解できるものには、あまり興味が湧かない。幸せであることを望んでいる一方で、それを享受しようとしないのは、その幸せという感情が想定の範囲内で収まってしまうと思っているからである。そこには、当然のこととして浮き沈みはあるのだろうが、自身を揺るがすほどの魂の葛藤と激動が見込めない。理解できないものこそを、知りたいと思った。だからこそ、自分自身では測ることのできない尖った人たちが周りに多くいたのであろう。幸いなことに子供の頃に、幸せと感じうるだけには良い暮らしをさせてもらった。相対的に考えて戦争や飢饉といった大きな問題から、家庭内暴力やネグレクトといった細かな問題に直面することなく、何不自由なく生きることができた。過去数千年の星の数ほどいた人間からしてみて、それは奇跡的なことである。歴史や物語をみて、その奇跡を子供のころに感じ取ってしまったのだから、幸せでいるとこに満足してしまった。人に借りっぱなしなのは、きまりが悪い。だからこそ、それらを何かしらの形で社会に還元する必要があると常に感じている。自分にわがままさとずるさが、あまり存在しない考え方の所以である。苦難を求める所以でもある。

 

高校の頃に部活をしていた。それは人生においての、初めての大きな壁であった。高校から始めた部活で、新人の顧問は、全国でべスト8に入ったこともある猛者である。文武両道を謳う高校の校風の威を借るように、顧問は鬼のような練習を部員に課した。部員たちは色々な複雑な思いを込めて、顧問を「ヤツ」という符牒で呼んだ。はしごにはしごを重ねた合宿の末に、逃亡者がでて、みんなでその一人を止めたことは、今となってはいい思い出ではあるのだが、少なくともあの時のみんなは、道路に飛び込めば次の合宿に参加する必要はないと思うほどには追い込まれていた。この時ほど、中島みゆきの「時代」が心に響いたことはない。腕を骨折した時には、1ヶ月休みを与えられるため、とてもありがたいものであった。今でも辛すぎると骨を折ろうかと考えるのは、そんな実体験に裏付けられている。そんな状況でもどうにかやっていたのは、一緒にいた部員がふざけた奴らだったからだ。部員たちによる理不尽な「ヤツ」の怒りの再現も、練習後にひたすらに白米を食べるという謎イベントも、大会中の夜のホテルで太鼓の達人をやりすぎて尋常じゃないくらい怒られたことも、いかに笑いに変えられるかを競い合っていた。あれだけ辛かったのに、思い返すことができるのは、ふざけていたことばかりである。

 

そんな後ろ向きの気持ちで、部活に取り組んではいたが、進学校であっただけにみな根が真面目だった。初心者を中心として構成された、穴の世代と呼ばれてもおかしくない自分たちは、途方もない練習を経て強くなり、進学校では珍しい関東大会出場という成果を果たすことができた。関東大会を決める試合では、恐ろしい程に落ち着いている自分がいた。あれだけの練習をして、負けるはずがない。会場が俯瞰的に見舞わせるほどの集中力は、今でもあの時だけである。試合が終わった後に、ふうと息をついて泣きながら笑いながら抱き合ったあの瞬間は、いつまでも忘れることはない。自分の中に今もある何かへの努力と、同じ方向を向いたチームで物事を達成することの純粋な喜びは、ここが原点である。努力と結果がかみ合った瞬間であった。それと同時に成果とは苦労の先にあるということも、自分の心に植え付けた。

 

こうやって、少年の頃から大人になり、今に至るまでの自分の感情を観察している。自分の感情を描写できるだけの言葉を覚えようと、今ここに記載している。人生一回だけなのだから、自分の人生を楽しく大切に生きないと。そんな言葉に耳を貸す気にはならない。論文でも何でも大切なのは裾野の広さである。勢いのある分野にはそれだけの人が集まる。みながみな、成功に憧れを覚えるのではあるが、全員が成功などするはずがない。少なくとも、絶望に打ち破れた人々や何となくなあなあでやっている人や色々な人の上に成功は成り立っている。100人のうちの1人だけの成功の物語を見つめていても、あまり意味がない。裾野の広い集団としてとらえて、1人の成功者が出れば儲けものである。そんな見方もある。

 

酔狂を好む自分としては、自分自身が失敗しようが、成功しようが、どちらでも構わないのであるが、気づいたら度数分布の端っこに向かって爆走する自分の性格と行動と結果とを、文字として描写していくことで、これからの自分や、誰かの何かの一助になることを望んでいる。それはまさしく文学である。僕にとって文学とは、作家一人ひとりが出会った人や物事との間に起こる、葛藤や苦悩、悲しみや、喜びといった感情に対する特殊解の集まりであると思っている。いろいろな人がいれば、いろいろなことが起こるのだが、同じ人間である以上共感できるものがある。出来ないとしたら、またそれも可能性である。

 

今の世の中は、前世から順繰り順繰りバトンを託されることで成り立っている。科学や技術や知恵や経験といったものが、常に引き継がれて今の世の中がある。このテーマを選んだのは、自分の中の感情を整理することで、限りなくピンポイントな誰かの何かの助けになると思ったからである。自分自身の手にあるのはとても歪で不気味なバトンではあるが、そのよくわからないバトンを後世に手渡していく以上に、自分の人生に意義を見出せるものは、ないと思っている。

 

タイプ

幸いなことに、女の子を紹介するよと色々な人からよく言われる。人格に対してある一定の評価をもらっているということで、とてもありがたいことではあるのだが、そういう時に一番困るのが、どんな人がタイプなのかという質問だ。改めて考えてみると、とても難しい。自分ですら自分をわからないのに、相手に求めるものなど尚わからない。そういう時は、無難に優しくて苦労を知っている人とやんわりと伝えることにしている。あまり言いたいことは伝わらない。

 

昔からの友達からよく言われる。「学歴もあって、穏やかで、趣味も多い。話もできるし、一流企業で働いていて、金もある。結婚相手の条件としては最高のはずだ。それができないのは、その最高さを打ち消すほどのお前の人間性のせいだ。」そう言って憚らない友達こそが、自分を意味不明な生き方に引きずり込んだ張本人なのだが、自分でもそう思うのだからとても困る。

 

店員にちゃんとありがとうと言える人がいい。そんな意見をよく耳にする。それを自分のタイプといってもいいほど、同意する。ただ、自分にはいくつかの条件が付く。常に極限の状況を想定している。腕が一本なくなるとか、家が爆発するとか、意味のない想定を頭に入れたうえで、常に平静を保ちたいと願っている。どうしようもなく辛いことがあって、今の自分自身を一旦ばらばらにして、再構築しなければならない。そんな状況に追い込まれることが多々あったためか、極限の状況に追い込まれたときの人の対応に興味があった。店員にちゃんとありがとうといえると言っても、家も仕事も失って、全てに絶望している状況で、店員さんから一杯のコップに水を注がれたときに、その一杯の水に生きる喜びを噛みしめて、人に対する感謝の気持ちを忘れず、ありがとうと言える人が好きなのである。

 

そんな人がいないことなどわかっている。白馬の王子様が迎えに来ることくらい、探すのは難しい。でも、ルパンは盗むまでが楽しいといっていた。何でもそうだが、手に入れるまでの過程が楽しい。何かを手に入れてしまった瞬間に、リアルな現実が目の前に現れるため、何かしらの部分で色褪せてしまう。合コンで楽しいのは、終わった後の2次会で男だけで集まって、相手の悪口を言い合うことである。帰るまでが遠足であるように、2次会で悪口を言い合うまでが、合コンだと思っている。そんなしょうもない人間性だからこそ、いつまで経ってもだめだと思うのだが、ああでもないこうでもないと、理想を語るのは楽しい。手に入らないロマンを一緒に追いかけたい、それこそが本心なのだろう。

 

自分の気持ちを文字にして初めて、理解することがある。取り繕っていてもしょうがない。どうせやってみて、また違ったなと間違いに気づくのであるが、これからはどんな人がタイプなのと言われたら、「洞窟の奥の、木漏れ日によって咲く一輪の花を、そのままにできる人」と言ってみようと思う。問いかける相手もきょとんとすると思うし、意味がわからないと思う。でも、そんな意味の分からないものを、理解しようとするそんな気持ちが好きなのである。どうせ根が真面目なのだから、相手を地獄に突き落とすようなことはしない。でも、その気持ちを少しでもわかろうとしてくれるのであれば、一緒に何かを頑張っていけそうな気がする。考えに考えを重ねることで結婚に向けて100歩後退していたが、1歩だけ進んだ気がする。

 

 

女子小学生のかかとについている車輪のあれ

先日公園を歩いていると、同じ姿勢を保ちながら平行移動してくる女子小学生に出くわした。最近よく見る光景だがどうやら靴のかかとについてる車輪のあれを使っているらしい。

 

梅の花が咲き始めた陽気な春を感じさせる公園で、楽ちんそうに滑りながら移動するその動きは、とても軽やかでうらやましくなぜ成人男性用のかかとのあれがないのかとても気になった。女子小学生の骨盤の形に最適なシステムなのか?体重の軽さがちょうど良いのか?くだらない考えを思案していると、また女子小学生が向こう側から平行移動してくるのを見かけた。本当にいろんなところに出没するなと思ったとき、その姿に些細な違和感を感じた。どうやら地面を蹴って加速することをしていない。別に下り道なわけでもない。なぜ、その女子小学生は加速もなしに平行移動し続けることができるのか、謎が解けた瞬間頭に電流が走った。

 

「真実はいつも一つ」コナン君はそう言っている。それは簡単な推理だった。なぜなら女子小学生の右手につながれた手綱を、懸命に引っ張るチワワがいたのだから。もうそれは必死である。女子小学生とはいえ、人一人をチワワが引っ張らなければならない。力積的に考えてみてもわけがわからない。体重の10倍以上がある物体を、生まれたての子鹿のような足で必死に引っ張っているのである。

 

衝撃も冷めやらないままに呆然と立ち尽くしていると、全力で走るチワワに引かれて、女子小学生は優雅に賑やかな公園の奥に消えていった。鬼のような形相のチワワ。軽やかにすべる女子小学生。切れの良い動きで拳法の練習をする太ったおっさん。朗らかな昼下がりに出くわしたおもしろい風景。事実は小説よりも奇なり。そんなお話。

願い

時を超えて語り継がれる言葉や物語には、語りつがれるだけの力がある。何が直接的に人の心を動かすのかは分からないが、語り継がれた分だけそこには、時を経ても普遍的に共感しうる何かがあるのだろう。媒体は口伝であったり本であったり、時には建物であったりもするのだが、何十年何百年何千年と語りつがれている。それだけでも凄い事である。

 

学生として建築を学んでいた時に一番悩んだのが、「なぜこの建物を皆がいいというのか」ということだった。いい建物を建てるためには、当然の条件としていい建物を知らなければならない。有名な建築家がいて、それを皆が褒め称える。これは有機的な建物である。部分が全体を統合している。身体的なスケールが、建物全体に活かされている。平凡な家庭で育ち、切り売りされた新興住宅街に住んで過ごしてきた自分には、到底理解し得ない世界だった。本当にこの先人たちの言っていることをまわりの人は理解しているのか。意識高い人達が発っしていた言葉はどうしても、特権階級の人達が同じ言語で喋ることで、自分達の優位を確かめ合うだけの、馴れ合いにとしか思なかった。

 

何も知らない若者だった自分は、才能なんてないと早合点をして、自分自身を見限ろうとしていたときのことである。なんとも微笑ましい考えを思いついた。「パリのセーヌ川のほとりで、コーヒーを飲みながら考えれば何かわかるかもしれない!」今の自分では理解し得ないのであれば、雰囲気だけでも染まってみるしかない。さっそく思い立ち、パリに出発した。

 

パリは言わずと知れた芸術の都で、過去幾人もの日本人達が訪れている場所である。有名な建物が濫立しており、見るものには事欠かない。ルーブル美術館オルセー美術館、ヴィクトリア宮殿、パリ国立博物館。いろいろな建物をみて、帰りにセーヌ川のほとりで小さいカップに入った1ユーロのエスプレッソをのむ。エスプレッソは濃くて美味しいし、建物は確かにすごいとは思う。華やかで、装飾的で、そこに注ぎ込まれた労力には頭が下がる思いである。ただ、それでもなおいまいち自分の心で理解ができない。もとが貧乏性であるため、日本の和室などの質素な空間を好む自分には、華美な空間は、確かにすごいとは思うのだが、それをはっきりとした形で理解することはできなった。

 

市内の探索も一通り終えて、次は町の外に繰り出すことにした。世界3大建築家。その1人である「ル・コルビジェ」のサヴォワ邸をみるためである。世界3大建築家というだけあって、それぞれにそれぞれの名言がある。フランクロイドライト「全体が部分に対してある如く、部分が全体に対してある」。ミースファンデルローエ「より少ないことは、より豊かなことだ」。ル・コルビジェ「住宅は住むための機械である」。皆が皆他の人の例に漏れず、それっぽい言葉を言っている。他の2人の言いたい事は、建物の写真を見れば何となくわかる。ライトの規律とも取れる六角形の意匠を随所に取り込み、純粋に建物としての良さがぱっとみて理解できる。ミースにしても、シンプルさを追い求めたが故の建物の構成は、あまり好きではないが一目でみて分かる。でもコルビジェの一見ちぐはぐに見える建物の良さだけは、言葉と写真だけでは、よくわからなかった。分からないから、知りたいと思ったのだとおもう。分かる人にならなければいけないと思ったからこそ、自分の目で見ることにした。

 

全く知らない土地を電車でまわり、どうにかこうにかしてたどり着いた。実際に建物をまじかでみて最初に思ったのは、風が強く吹いたような、ぶわっと自分の視界が開けたような印象だったのを今でも覚えている。建物を何となく感じ取れた自分が少し誇らしくなった。でもそれと同時にセンスとか感覚を気にしていたことを恥ずかしくなった。

 

その建物は、機械のように念密に設計がされていた。初期の頃の作品というだけあって、武骨ではあるのだが、住宅は住むための機械であると言うとおり、全てに意味が持たせてある。コルビジェの特徴は光の建築と評されるように、3階建ての小さな住宅の中に大小様ざまな窓がある。時には丸であり、時には三角であり、時には空に向かって開いた中庭であった。それら全てに意味があり、重力に対しての構造という枠の中で、陰影や光の取り方に葛藤が垣間見えた。「すごいでしょ。頑張って作ったんだ。」そんな風に自慢気に無邪気に建物を語っているように、感じられた。

 

全ての物事に理由をつけていくそのデザインの方法に気づいたのは、僕にとって偉大な発見であった。窓が四角で同じ高さに並んでいる理由。屋根が平たんである理由。部屋をつなぐ動線として廊下がある理由。今まで常識として意識しなかった物事すべてに意味を持たせることで、よりいいものになること。自分が悩んでいたセンスや才能といったものは、もっと論理的に解決できること。設計をするときに考えるべき物事を見過ごし、考える努力を放棄していたということを、身体的に理解することができた。

 

安藤忠雄は世界中の建築や遺跡をみて、建築に夢を見たと言っている。少なくとも、何も知らない自分に、コルビジェサヴォワ邸は、建築を作るための考え方を教えてくれた。考えることしかできない性格であるのなら、誰よりも考え続けようと思った一つのきっかけでもある。「来いよ高みに。」ワンピースでエースがルフィに語り掛けていた。偉大なものは常に、ここまで来いと無言で人に語りかけている。

 

長い年月を経て語り継がれる言葉や物語には、何かしらの願いが含まれている事が多い。コルビジェは人が本当の意味で物を見ていないことを嘆いていた。夏目漱石は、明治から昭和に変わる時代の変遷の中で、家長制度から個人主義に変わりうる際のロールモデルの不在を憂いていた。その嘆きや憂いを少しでも変えたい、そんな願いがいつも含まれている。その願いを感じ取るためには、考えに寄り添い理解しようという能動的な怒力が必要である。「人はなぜ坂道を登るのだろうか」「そこから違う景色が見えるからじゃない」なにかのCMでさらっと語られていた。努力しないと分からない世界がある。そして、その努力をすることで分かる世界があり、少なくとも今までとは違った世界を見る事ができる。たとえその代償が孤独な道のりであったとしても、違う世界で見える景色への感動は何物にも代えがたい喜びがある。

 

今もそうだが、ずっと嵐の中を彷徨っているような気がする。終わりのない嵐の中を延々と歩き続けている感じがする。それでも考えることも苦労することにも背を向ける事ができないのは、その先に新しい景色があるような気がしているのだが、偉大な先人たちが歩んできた孤独な道のりを、否定したくはないという、同情によるものでもある。それは自分が悩んで孤独だった時に、横にいてくれたことへのお礼でもある。

 

物語を読むと、誰にも理解されずに、それでもなお自分の中の真理にたち向かっていく少年たちの葛藤が思い浮かばれる。今までにない新しいことを提唱するのは、なかなか人に理解され難い孤独なものであり、夢想的なその夢は少年のイメージがよく似合う。その少年の葛藤は時代が変わっても変わることとはない。今尚読み続かれている物語があるのだから。自分に出来ることなどたかが知れている。でも、可能な限りそんな願いに寄り添い理解してあげたい、そんなふうに思っている。頑張っているのに、誰にも理解されずに1人ぼっちでいるのは、とてもさみしいのだから。

 

仕事をし始めて数年は、お前の言っている事が分からないとよく言われた。物事の論理が繋がっていないのだと。Aの結果からBをすっ飛ばして、Cに行っている。それを自分では不思議に思っていた。なんで分からないのだろうか。Aが起きればCが起きのるのは当然の帰着のように思うのだけれど。どうしても、物事の結論を早く出し、途中の考えをすっとばす傾向があった。シャーロックホームズは人を見た瞬間に、その人の過去を言い当てる事ができた。過去をはっきりとあてたのちに、ゆっくりとそこに至る過程の推理を明示する。今になって思うと、経験の少ない若者が過程を無視して結論を焦っていると思うのだが、この考え方の傾向は、子供の頃に読んだシャーロックホームズと好きであった数学に由来する。

 

 色々な学科の理系の人たちで集まって、飲み会をしていた時のことである。異なる専門性を持った人たちが集まると、いかにそこにいる人たちが理解できるありふれた言葉で、自分の専門を語るかが楽しく会話をできるかの争点となる。皆が理系であったため共通の話題である、数学の話が上がった。平成教育委員会の算数の問題が得意。フーリエ変換やばい。葉っぱの上に落ちる水のしずくの曲線の方程式。ささやかな談笑は続き、いつもの定位置の角の席で枝豆を食べビールを飲みながら、昔を思い返していた。

 

自分の高校は、我先にと学校の自習室に集まり、狂ったように参考書を解き続け、夜12時まで明かりが消えない、変態な男たちの集まりであった。色もなく花もない。そんな精神と時の部屋で流行っていたのが、大学への数学であった。正直これを解くことで受験に直結するのか、はなはだ疑問ではあったのだが、挑戦コーナーに応募してその解答が採用されようものなら一躍ヒーローであったため、自分がここにいると存在を主張するかのように、不良の少年ががバイクを乗り回すのと同じように、机に向かって紙にペンを走らせた。結局自分の解答が採用されることはなかったのだが、無邪気に数学を解き続けた毎日の中で答えへの道のりが光って見える瞬間があった。答えが分かるのであるから、あとは数式を書き記すだけでいい。そんな経験は、他のものにはない喜びであった。だから数学が好きだったのだと思う。

 

ささやかな会話を続けていると、不意に数学科の女の子が笑いながら言った。「数式に虹がかかる瞬間がある」その言葉を聞いた瞬間に、はっと息が詰まった。それは、恋に落ちるとも似た衝撃であった。これほどまでに、鮮やかにそして無邪気に、身近なところで同じ感覚を言いあらわした表現は聞いたことがなかった。自分の言いしれようもない感情を同じように理解して、それを超える表現であらわしてくれる人がいると不覚にも感動してしまった。小説であればそこからすったもんだあって、ハッピーエンドを迎えるのだが、とくにはそんなことはない。ただ、その響きを今でも覚えている。自分にしかわかり得ないと思って諦めていた感情を、分かってくれる人がいる。そう思えた時、それに勝る喜びはない。

 

このブログに書かれている文章も、大概同じような考えで記載されている。事例が飛び跳びで、結論ありきでそこに持っていくために、むりやりに解釈を行なっている節もある。自分の結論を頑固に持っているため、それを正当化しなくてはならない。そんなきらいがある。ただ、今まで自分が考えてきたことや、自分の性格、身の回りの環境を考えると、そう結論を出さざるを得なかった。それはそうであってほしいという祈りでもある。

 

今も仕事をしていて、直感的に結果が分かる事がある。それは、数学の問題を解き続けたように、仕事でも問題を解き続けた結果でもある。これをしないと失敗する。それが瞬時に感じ取れるから、苦労をしているのだろう。一つ一つ丁寧に糸をほぐすように、解決して行かなければいけないのだが、その一つ一つの仕事量と自分にできることと相手のリアクションそれを先に読みとることができるため、気持ちが押し潰される。それは将来のことを考えても同じことがいえる。今大分上の人たちが平然とやってのけている仕事をこなせるまでの、その労力と苦悩と葛藤を感じ取ることができてしまう。だからこそ、そこに至るまでのいばらの道に、どうしても足が立ちすくんでしまう。やらなければいけないと分かってはいるし、いつかできるようになると自分を信じてはいるのだけども、少しその気持ちが整うのを待っていてほしい。いつもそう思っている。それでも、期限はいつまでも待ってはくれない。

 

数式に虹がかかるというと、気持ち悪いと思われるだろう。こんなに無駄に考えるのも、何のためなのだろうと不思議に思うだろう。九十九人の人が、そこに興味を持たないとしても、奇異な目で見られたとしても、たった一人だけでも共感してくれる人がいれば救われる。他の人からすればがらくたにしか見えない、数式に虹がかかるという経験は、子供の頃に集めていたドラクエ円筆のように、いつか自慢できる日を夢見て大切な宝物として自分の胸にそっとしまわれている。

 

暗がりで蠢く

人からすれば小難しいと思われる事柄を考えて、ここに記載している理由はたった一つ。自分の身を守るためである。

 

夏目漱石草枕の冒頭に有名なセリフがある。「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。 ー どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生まれて、画が出来る。」芸術の存在意義を端的に言いあらわした名文である。このブログに書いてある文章は、自分が生きづらいと思った気持ちを少しでも和らげるために、自分のために生まれた。そう考えないと生きてはいけなかったといってもいい。 

 

あくまで自分と同じような状況の人が、ああなるほどと理解しやすいように、リズミカルな語調と語り継がれる説得力のある事例を活用し、出来るだけロジカルに書いているつもりではあるが、結局のところ自分のどうしようもない性格を、無理やりにでも解釈して、生きていってもいいと自己を肯定するために書いているだけである。極寒の環境に出向く際に、必ずコートを羽織るように、世間の荒波を渡る際に、言葉で身を守っている。その世間を荒波とも思わない人達が大勢いるのであるから、生きることは非常に難解であると思う。難儀な性格である。と評することで、誰にも理解されずに頑張っている自分を演出し、肯定している。と評することで、自分を客観的に見れる広い視野を持っているという意識を向けて、自分自身を安心させている。と評することで、多階層を知的に嗜むユーモアも持っているとおまけに納得させている。

 

改めて自分の気持ちをここに書いていて思うのだが、よくもまあここまで壮大な言い訳をできるものだなと感動する。坂口安吾を真似て恋愛論などというものを書いては見たものの、こんなのは何も行動を起こさない自分を、ただ肯定するための言葉遊びに過ぎない。「うるさい。ガタガタ言わずにやって見ろ」の一言で片が付く話なのである。妙に考えられているから、そうなのかもと思ってしまうし、何事も簡易化して現状を適切にとらえないのは思考の放棄だと、それっぽい言葉を出してみることで同意を促し、人を暗がりへ誘っているにすぎない。ニーチェは「深淵をのぞいているときに、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。」と言っていたが、自分は深淵を演出しているだけであって、実態は岩の裏に貼り付くダンゴムシと変わりはないのである。湿った岩の裏側で蠢く蟲のように、生活の基盤をじめじめとした処に自らを持っていって、隙あらば誰かを引きずり込もうとしているだけなのである。生物は生きる場所を限定することで、外敵から生き延びる方法を探す。じめじめとした場所に生きることを限定し、よく分からない論理という外殻を纏うことで、必死に生き延びようとしている。そして一人では寂しいから、仲間を増やそうと岩陰の隙間から人をじっと見つめている。

 

前に医者の友達の結婚式に参加したことがある。溢れんばかりの希望に満ちたその様子は、湿った岩に隠れて生きている自分にはまぶし過ぎた。人が人に対して優しくするのは当然だと、善意を信じて疑わない様子には生きる場所への根本的な相違が感じられた。たとえ誰かに裏切られたとしても、その周りにいる人達がお互いを助けるのであろう。いい循環である。自分ならまず、裏切られそうな雰囲気を察知することを学習し、裏切られてもいいような関係性を結ぶ。徒労である。

 

どこでどう生きる道を間違えたのだろうか。核家族の中の1人の少年として、完全な肯定感こそなかったものの、特段不平もなく育ってきたはずなのである。1日仕事を頑張って、幸せな家庭に帰って、家族みんなでご飯を食べて、子供の寝顔を見ながら寝る。確かにそんな平凡な人生を少年の頃自分は夢みていたはずなのである。何をどう間違えたか、毎日が辛い。ただ、日蔭に生きる蟲には日蔭に生きる蟲なりの矜恃がある。生き延びようとする生命的な逞しさだけは過分にあると思っている。でもその矜持があるだけに、なおたちが悪い。矜持に固執し、ますます暗がりに入り込んでいる。

 

自分は自分のことをひねくれていると思ばいいのか、単に考えすぎているだけと思ばいいのか、たまに考えるが答えが出ない。優しいのか、厳しいのか。冷静なのか、情熱的なのか。真面目なのか、ふざけてるのか。怠惰なのか、勤勉なのか。明るいのか、暗いのか。頭がいいのか、悪いのか。客観的なのか、主観的なのか。どこをどの切り口で見てみたとしても、これといった一言で言い合わせる性格はなく、複雑怪奇な様相を呈している。全くよく分からないのではあるが、人生に1回だけこんなに意味の分からない人に出会ったと。だからこそ自分もよく分からないけれど、頑張ってみようかなと。そう思ってくれれば、それに勝る光栄はない。

 

辛いときには自分を奮い立たせたり、自分を肯定するための何かが必要である。人にとってはそれが家族であり、恋人であり、友達であり、酒であり、趣味なのだろう。それが自分にとっては、ここに書かれているような言葉であった。言葉は決して即効性のある形で、劇的に自分自身を守ってはくれないが、そこに寄り添う形でやんわりと自分の生き方を守ってくれているような気がする。誰に何を言われようと、生き方が間違っていようと、向いている先が深い暗闇だったとしても、前を向いて生きていけるのは、自分を守ってくれる言葉のおかげだと思っている。