川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

テーマ

論文を書く際には、テーマ決めが重要になる。それは教授から与えられたり、自分で考えていったりするのだが、テーマを決める時点で論文の半分以上が決まってくるほどとても重要である。データを恣意的に捻じ曲げ、結論に沿うように、過程を変える報道などを目にするが、看過はできないけれど気持ちは分かる。一つのテーマを決めた後に、ある程度の結論を想定し、色々な実験を行う過程には膨大な労力を要する。今までの行いが否定される実験結果が出て来た時には、自分の存在を否定されるに等しい。逆に言えば、自分自身を否定する結果が生まれたときこそ、面白いともいえるのだが。その繰り返しが論文を書くということである。そういう理系的なことをやっていたせいか、自分自身の人生にもテーマを設定するようになった。それは「平凡な人生における、様々な状況での自身の感情の状態とその変化に対しての考察」である。人生のテーマを決めるためには、自分を知らなければならない。

 

昔から酔狂なものが好きである。無駄なことに命をかけている人が好きである。ああしなさい、こうしなさい、そういうメッセージが世の中にありふれているため、それらに反抗したいからそう思うのだろう。今まで生きてきた中で周りには尖った人が多かった。尖っているとは、人の能力や性格を数値化したときに、それが良い意味か悪い意味かはさておき、何かしらの突出した部分がある人たちのことである。そんな人に多く囲まれていたためか、自分のことを平凡な人間であるとおもっていた。少なくともそんな人達は自分にしか出来ないことをやっており、いつも楽しげであった。周りの人に憧れることはあったが、その人固有の突出している能力が故に、到底真似ることはできなかった。だからこそ自分自身にしかできないことは何だろうかと考えた。なんとなく生き続けて、ぼんやりとそう考え続けていった時に、いくつかの考えが浮かんだ。平凡であること、考えすぎること、理系であること、本が好きなこと、冷静なこと、今の時代を生きること、突き進むこと。そうやって次第にテーマが形作られた。テーマで重要なのは自分にしか成し得ない独創性と他にも活用できる再現性である。自分自身の平凡な人生の中で、様々な状況、特に自分では想定しえない状況に追い込まれた時の自分の感情や行動、そういったものは一体どのようなものであり、それを経ることで何を見出すのか。自分自身を毒蜘蛛に噛みつかせて、自身の昏睡状態・状況を描写する生物学者と発想は一緒である。マッドサイエンティスト、それは酔狂である。そういう感情の中に、より感動や喜びを導き出すものはあるのか、また同時に万人に通ずる普遍的な真理はあるのだろうか。その考察・検証こそが自分の人生に対するテーマである。

 

理解できるものには、あまり興味が湧かない。幸せであることを望んでいる一方で、それを享受しようとしないのは、その幸せという感情が想定の範囲内で収まってしまうと思っているからである。そこには、当然のこととして浮き沈みはあるのだろうが、自身を揺るがすほどの魂の葛藤と激動が見込めない。理解できないものこそを、知りたいと思った。だからこそ、自分自身では測ることのできない尖った人たちが周りに多くいたのであろう。幸いなことに子供の頃に、幸せと感じうるだけには良い暮らしをさせてもらった。相対的に考えて戦争や飢饉といった大きな問題から、家庭内暴力やネグレクトといった細かな問題に直面することなく、何不自由なく生きることができた。過去数千年の星の数ほどいた人間からしてみて、それは奇跡的なことである。歴史や物語をみて、その奇跡を子供のころに感じ取ってしまったのだから、幸せでいるとこに満足してしまった。人に借りっぱなしなのは、きまりが悪い。だからこそ、それらを何かしらの形で社会に還元する必要があると常に感じている。自分にわがままさとずるさが、あまり存在しない考え方の所以である。苦難を求める所以でもある。

 

高校の頃に部活をしていた。それは人生においての、初めての大きな壁であった。高校から始めた部活で、新人の顧問は、全国でべスト8に入ったこともある猛者である。文武両道を謳う高校の校風の威を借るように、顧問は鬼のような練習を部員に課した。部員たちは色々な複雑な思いを込めて、顧問を「ヤツ」という符牒で呼んだ。はしごにはしごを重ねた合宿の末に、逃亡者がでて、みんなでその一人を止めたことは、今となってはいい思い出ではあるのだが、少なくともあの時のみんなは、道路に飛び込めば次の合宿に参加する必要はないと思うほどには追い込まれていた。この時ほど、中島みゆきの「時代」が心に響いたことはない。腕を骨折した時には、1ヶ月休みを与えられるため、とてもありがたいものであった。今でも辛すぎると骨を折ろうかと考えるのは、そんな実体験に裏付けられている。そんな状況でもどうにかやっていたのは、一緒にいた部員がふざけた奴らだったからだ。部員たちによる理不尽な「ヤツ」の怒りの再現も、練習後にひたすらに白米を食べるという謎イベントも、大会中の夜のホテルで太鼓の達人をやりすぎて尋常じゃないくらい怒られたことも、いかに笑いに変えられるかを競い合っていた。あれだけ辛かったのに、思い返すことができるのは、ふざけていたことばかりである。

 

そんな後ろ向きの気持ちで、部活に取り組んではいたが、進学校であっただけにみな根が真面目だった。初心者を中心として構成された、穴の世代と呼ばれてもおかしくない自分たちは、途方もない練習を経て強くなり、進学校では珍しい関東大会出場という成果を果たすことができた。関東大会を決める試合では、恐ろしい程に落ち着いている自分がいた。あれだけの練習をして、負けるはずがない。会場が俯瞰的に見舞わせるほどの集中力は、今でもあの時だけである。試合が終わった後に、ふうと息をついて泣きながら笑いながら抱き合ったあの瞬間は、いつまでも忘れることはない。自分の中に今もある何かへの努力と、同じ方向を向いたチームで物事を達成することの純粋な喜びは、ここが原点である。努力と結果がかみ合った瞬間であった。それと同時に成果とは苦労の先にあるということも、自分の心に植え付けた。

 

こうやって、少年の頃から大人になり、今に至るまでの自分の感情を観察している。自分の感情を描写できるだけの言葉を覚えようと、今ここに記載している。人生一回だけなのだから、自分の人生を楽しく大切に生きないと。そんな言葉に耳を貸す気にはならない。論文でも何でも大切なのは裾野の広さである。勢いのある分野にはそれだけの人が集まる。みながみな、成功に憧れを覚えるのではあるが、全員が成功などするはずがない。少なくとも、絶望に打ち破れた人々や何となくなあなあでやっている人や色々な人の上に成功は成り立っている。100人のうちの1人だけの成功の物語を見つめていても、あまり意味がない。裾野の広い集団としてとらえて、1人の成功者が出れば儲けものである。そんな見方もある。

 

酔狂を好む自分としては、自分自身が失敗しようが、成功しようが、どちらでも構わないのであるが、気づいたら度数分布の端っこに向かって爆走する自分の性格と行動と結果とを、文字として描写していくことで、これからの自分や、誰かの何かの一助になることを望んでいる。それはまさしく文学である。僕にとって文学とは、作家一人ひとりが出会った人や物事との間に起こる、葛藤や苦悩、悲しみや、喜びといった感情に対する特殊解の集まりであると思っている。いろいろな人がいれば、いろいろなことが起こるのだが、同じ人間である以上共感できるものがある。出来ないとしたら、またそれも可能性である。

 

今の世の中は、前世から順繰り順繰りバトンを託されることで成り立っている。科学や技術や知恵や経験といったものが、常に引き継がれて今の世の中がある。このテーマを選んだのは、自分の中の感情を整理することで、限りなくピンポイントな誰かの何かの助けになると思ったからである。自分自身の手にあるのはとても歪で不気味なバトンではあるが、そのよくわからないバトンを後世に手渡していく以上に、自分の人生に意義を見出せるものは、ないと思っている。