川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

菊と刀

海外で住むのであれば、日本のことを知らなくてはならない。右へならえのとても日本人らしい発想だなと感じていたけれど、読まないよりは読んだ方がいいかなと思って、ルース・ベネディクト著「菊と刀」を読んだ。感想は驚愕の一言である。

 

ルース・ベネディクトアメリカ人の文化人類学者であって、一見矛盾だらけの不可解な日本の文化について、アメリカ人が理解できるように書かれている。後から知ったが、著者は女性なのだそうだ。日本人の親子の家庭でのしつけの描写がきめ細かいことは少し気になってはいたが、女性と聞いて腑に落ちた。この本が書かれたのは第2次世界大戦中という事実にはたいそう驚く。実際に日本に行けない状況の中で、本来忌むべき戦っている相手を文化的にも考察し、戦い終わった後どう統治するかまでを見据えて書かれているのだから、アメリカの大国としての器が窺える。書いてある内容についても、とても克明で幅広く制度的・歴史的な考察もよくなされている。彼を知り己を知れば百戦危うからず。古今東西問わずに活かせるとても素晴らしい態度だと思う。

 

方法論としては、文化人類学者の立場から日本人がもつ一見孤立したように見える行動には、必ずなんらかの体系的な関わりがあるという前提の元、調査に及んでいる。全く不可思議に見える日本人のその体系的な関わりを仮定し、生活の隅々に現れているかを検討・検証していくことで、日本人全体の行動の原理を実証していく。とても敬虔な態度だと思う。アメリカ人が持つ特有の文化的背景。そういったものを一切取り払って、日本人がもつ行動の意味をただただ検証している。

 

このままこの本のすごいと思うことを眈眈と書いていってもいいのだが、自分にとって本を読むということは、2階の部屋からビー玉を無造作に外になげて、どこにあるかわからない琴の弦に当たった時の音を楽しむというような酔狂な意味であるので、せっかくなので自分の琴線に触れたものについて、話してみたい。

 

最近自分の意見を持つべきだとよく世間一般で言われるようになった。これは工業的・情報的な社会の中で、個人個人が価値判断を行うようになるべきとの、無時間的な価値観の集大成だと思っている。消費の主体たる個人は、年齢がどうであろうとお金を持っているだけで消費主体として認識される。それはある種自分の行動に全ての責任を負っているような、全能感を持って行動することを意味する。自分にとって何が良くて何が悪いのか。自分の中にある基準のみから、全てを判断することになる。

 

最近人と話していて、私はとか僕はとか俺はから始まる客観的な意見を含まない主観的な意見を良く耳にする。それはある意味では、自分の意見以外のものを切り捨てているような気がしてどうしても引っかかっていた。自分自身の心にしたがって生きる。好きなことで生きていく。とても聞こえはいいが、人の考えを排除することで可能性を閉ざしているように感じられる。何千人の一人のカリスマであれば別だが、案外人なんて、都合の悪いことは聞こうとしないし、聞こうと思わないことについては聞かないことができるものだと思う。

 

それは果たしていいことなのだろうか。本当に自分自身の中の基準のみで十分なのか。自分自身の未来の成長を今の自分が全能的に知り得るのだろうか。無知の知に対する畏敬の念が失われているように思われる。

 

菊と刀を読んで一番琴線に触れたのが、何かを知ろうとするときの謙虚な態度だった。知らないものがあって、知ろうとしている自分がいる。今までの価値観では測れない文化があって、それは確かにそこに存在している。理解をするためには今までの自分を保留しなければならない。不可解な行動があって、それらを統合するパターンを見つけ出すためにいくつもの特殊と思われる事例をピックアップする。想定されるパターンを仮定し、他の事例と照らし合わせて実証していく。常に事実の前には無私でいなくてはならない。僕自身が理系であるのでとても納得できる方法であった。日本人である自分が見ても快哉と膝を叩きたくなるこの本は、とてもあざやかに日本人の摂理を描き出している。それは無私のたまものであると思う。

 

本を読むとは、他者を理解しようとする能動的な優しい行為だと思っている。だから、本を読む人が好きである。歳を経るにつれ色々な世界を知って、様々な考えを持つ人がいることが分かった。少しずつではあるが、本に書かれている内容や書こうと思った意志を理解できるようになった。少しは大人になったのだと思う。趣味が読書というと変わっている人に見られることも少なくはないが、誰がなんと言おうととても大切な行為だと思う。

 

これから先海外に住んでいて全く違う慣習に触れることが多々あると思う。当然としてその国独自の文化があり、その奇妙に見える慣習を成り立たせるだけの背景がある。菊と刀を読んで、他国の文化を理解する一例を学んだ。そうであるのならば、まずはそれと同じやり方でその国の文化について、生活していきながらゆっくりと理解していきたいと思った。