川を枕にして石で口をそそぐ

日々曖昧にしている感情を言葉にする独り言のようなページです

辛い時

人は辛い時にその人の本質が出るとよく耳にする。でも、聞いていてあまり自分に馴染まないと思っていた。その状況で頑張ることが、いいことだと、人々を誤魔化す都合の良い言葉だと感じられたからだ。海外で働くことになって1年間経って、上の人たちに日本に帰国する旨を伝えた。いかに自分の状況が辛いものかは初めからずっとプレゼンしていたため、割とすんなり受け入れてくれた。この1年間で得た気づきで最も大きなものは、気力とは消費するものだということだった。

 

端的に言えば逃げることを選んだ。今までの自分は、なんだかんだ言いながら、言われたことを最後まで諦めなかった。頑張ればどうにかなる。そう自分に言い続けて、それを海外でも同じように実行した。落ち着いて、何事も淡々とこなすから、辛そうなことがわかりずらい人間である。初めての状況に立って、言われたままに初めてのことをしていたため、どうするのが普通なのかがわからない。求められることをできない自分が劣っているのか、できないままにどうにかするその精神を持ち合わせていない自分がだめなのか。そもそものその求められること自体が初めての人にとって、異常なのか。よくわからない。ただ何をしても自分を責めざるを得ない毎日の中で、気力が削られていった。そんな時に必要なのは、ささやかな会話であったのだとしみじみと思った。

 

キングカズは児童養護施設を訪れてサッカーをしているときに、子供たちに「ありがとう」といった。意地悪な記者が「人気取りですか?」と質問すると、少し考えてから言った。「僕がかれらに何かをしてあげてるように見えた?逆に僕が何かをもらっているように見えなかったかい?」と答えた。そうなのである。いつも自分は人に何かをした気になって、優越感に浸っていたけれども、いつも元気をもらっていたのは僕自身であった。今もオンライン越しの友達たちは、いつもと変わらない様子で笑わせてくれる。それはたとえ自分の今の辛い状況をおもしろおかしくいったことによるものだったとしても、少なくとも笑ってくれる人たちは、自分が自分でいていいと思わせてくれる場所を提供してくれた。そんな些細な会話が、気力を与えてくれたことに気づいた。

 

海外にあってコロナであって新しい役割を行うこと。新しい役割の中で自分の居場所を見つけることはできたのだけれども、ローカルスタッフや日本人の同僚お客さんからもらう期待を背負い続けることが、とても苦しくなった。ロックダウンにより人と会話をすることすらも難しい状況でも、仕事は待ってくれない。何となく最初からわかっていたことではあったのだけれども、気力を使い尽くしてしまった。気力とは何かの行動を行う際のジャンプ力みたいなものである。今まで日本で平然と行ってきた、惰性でできることは何も力が要らないのであるから、できるのだけれども、新しい状況での何かの仕事は常にハードルやそそり立つ壁のように、ジャンプ力を必要とする。本来であればちょっと足を上げればできることも、気力がなければできなかった。人に悩みをいうことで、少しは気力が補充される。話していて、自分はできるのじゃないかという気になる。そしてやってみて失敗する。1年間を経て傷ついた、気力はなかなか元に戻らない。

 

オンラインで友達と話していた時のことである。友達はいう。「在宅勤務は全くやる気が出ない。でも、期日がギリギリになってくるとちょっとまずいことを認識して、やっぱやるんだよね。」僕はいう。「今まではいつもそう思ってやっていたけど、今回は期日ギリギリになってもやる気出なくて、実際にやらないときはどうすれば良い?」友達は珍しく真面目に答える。「それは平常な状態ではないから、休んだ方がいいと思う。そんな状態であれば休むことに対して、誰も何も言わないよ。」この言葉を聞いてそうだなと思った。こういう風に自分の心境を冷静に書くことはいつもやっていたからできるけれども、今までできていたことすらもできない自分の状況は、異常だと思った。頑張りたいと思って迷惑をかけないように努めていたけれども、できないことはどうしようもない。日本に帰国することを、上の人たちに宣言した。

 

何かを諦めることは寂しいことである。今まで頑張ってきた自分を否定するような、これからの人生を諦めるよな、そんな何とも言えない感覚である。いろんな分野でいろんな夢を追いかけていった人が、何かを諦めて、生活をしている。夢を引きずる人も、今の生活を納得して楽しそうに暮らす人も、その諦めを糧に頑張る人も、いろんな人がいるのだろう。成功した人の都合のいい言葉を見つけるのは容易いが、何かを諦めた人たちの言葉を探すのは難しい。耳障りの良くない現実は、大衆に受け入れ難いものだからだ。皆が皆それぞれの寂しさを抱えて、諦めていったのであると思うが、そんな一端を感じた1年間であった。

 

ワンピースのジンベェが、絶望の淵にいるルフィに対して言った。「失ったものばかり数えるな!!無いものは無い!!確認せい!!お前にまだ残っておるものは何じゃ!!」それに対して、ルフィは「仲間がいるよ!」と言っていた。

 

別に今回の件で何かを失ったわけではない。自信とか海外での信頼とか目に見えないものは無くなったけれども、それは遠い異国の地での話しである。特異な状況における、そんなものをなくしたところであまり自分自身には関係の無い話である。辛いときに必要であったのは、変わらない物であった。自分がどんなに傷つこうが落ち込もうが、変わらない日常をどうしようもなく生きている人たちとしゃべっていると、自分もそうだったなぁと思い出す。辛いときには過度の共感による心配よりも、ただ昔と同じように、何となく隣にいてくれれば良いのだなと思った。